2018.03.12

【インタビューVol.17】奈良の農薬販売3代目の勝負の地はカンボジア。6次産業化で夢の実現に挑む。(ジャパンファームプロダクツ/阿古 哲史氏)

大学卒業後、人材会社勤務を経て、奈良県葛城市で両親が営む農業薬品販売業の阿古薬品株式会社へ入社。その後、2011年に農業の海外展開をめざし、生産者や農業関係者と共に株式会社ジャパン・ファームプロダクツを設立。

2012年には、カンボジアで現地農業生産法人兼商社を設立し、現地の農場でオクラ、キュウリ、トマト、レタスなど約20種類の無農薬野菜を生産し、プノンペン市内の大手スーパーやレストランに卸している。

 

一方で、カンボジア、タイ、マレーシアにカキ、イチゴ、ブドウといった日本産果物の輸出・販売を行う。2016年にカンボジアに物流一体型農産加工場を開設。日本各地から規格外品の野菜を大量輸出して現地加工を行い、第三国へ販売する6次化のグローバルフードバリューチェーンモデル事業を展開している。

 

 

Q 子どもの頃の家業のイメージや家業に戻ることになったキッカケは何ですか?

A 家業は祖父が創業した農薬の卸問屋。農家の人に使い方を説明しながら営んでいたので、子どもの頃から近くの農家へ遊びに行っては畑や田んぼで農作業を手伝うような環境で育ちました。

当時、うちの農薬を買ってくれていた多くの農家の方から「おまえが継ぐ頃にはうちも廃業していると思うからやめておけ」と言われていたので、私も継ぐつもりはありませんでした。それに開発途上国の支援にかかわる機関で働く国際公務員をめざしていたんです。

 

しかし、大学で学んでいくうちに、そうした公の機関では現地が求める課題に即した支援は難しいと知り、次第に意欲もが薄れ、ほとんど学校へもいかずバンド三昧の日々でした。

 

その後、友人が取り組んでいた事業を手伝っていた時、ある起業家に出会ったんです。
彼はビジネスで稼いだ資金で独自の途上国支援を行っていました。「こういうやり方もあるんだ」と気づき、「僕も起業したい!」と、就職は最短・最速で経営を学べる人材業界へ。

 

新卒時代は新規開拓営業を担当し、1日100件くらい飛び込み営業を行いましたが、楽しくて仕方なかったですね。取引先の会社を理解するため、休日に無料で働かせてもらったり、社長の考えや悩みを聞かせてもらったりして。採用で結果が出たら嬉しいし、認めてもらえるとやりがいも感じていました。

 

そんな日々の中、入社二年目で独立を考えていた矢先に父から事業を手伝ってほしいと連絡があったんです。それまで継ぐつもりはなかったけれど「ちょっと手伝ってみるか、一年くらいしたらまた戻ればいいや」という気持ちで家業に戻りました。

 

 

Q 家業に入ってご苦労されたことや農業に対する印象の変化について教えてください。

A  衝撃でしたね(笑)

 

社内のフローが何も明文化されていない。取引先の農家の情報はすべて父の頭の中にあり、納品の度に地図や納品場所をメモに書くなどすべてがアナログでした。

 

祖父の代からそのようにしてきたので父はそれが当たり前なのですが、もし将来、従業員が増えた時、これではやりがいをもって働いてもらえないと感じて。そこで、顧客である農家の家族構成や地域での役割など重要な情報のフォーマットを作って父に書いてもらうように伝えました。

 

しかし、父は「体で覚えろ」の一点張り。ほかにも色々と意見の違いからケンカすることも多かったですね。

 

一方で農業としっかりと向き合うためさまざまな本を読みました。2050年頃には世界人口が約90億人となり、今の食料生産量を180%にしないと食糧危機が起こると警鐘している本も。他の国は食料生産や輸出戦略、海外展開に力を入れていますが、日本は世界的にも出遅れているので、やり方次第ですごい産業になる可能性を感じ、この分野で起業しようと思ったんです。

 

農家の方々と話をすると、価格問題や将来性への不安、高齢者問題など全体的に課題は山積していました。農業のマーケットは胃袋に例えられますが、高齢化や人口減少で農家同士が競合しない仕組みが必要だと考えるように。

 

通っていた経営塾の塾長からも「海外では安全な食品を食べたくても食べられない」という現状を聞き、これから経済成長するアジア諸国に新たなマーケットを作ろうと思いました。

 

当初は中国市場をターゲットに考えていましたが、カンボジアの農村視察で考えが一変。人口の8割が農業に従事する国で農村では児童就労も見受けられ、学校に通えない児童たちもいる実態を知ったんです。カンボジアで日本の農業技術を融合させれば、安全な農産物の生産性が向上し、農村の所得も改善されて、より多くの子どもたちが学校に通えるようになると思いました。そしてビジネス面でも様々なメリットがあることに気付き、カンボジアに進出することを決めました。

 

 

Q カンボジアでご苦労されたことや今後の展望について教えてください。

A  2012年に現地法人を設立し、栽培に適した野菜や病害虫に対してどのように防除できるのか1年半かけて研究しました。一番苦労したのは現地の人との就労感の違いでしたね。

 

例えば、朝礼中にコーヒーを買いに出て行く。日本ならそういうことはありませんが、「就労規則に書いていないから」と理解してもらえません。

 

ほかにも、仕事を教えている時、理解していないのに「わかりました」と言う。「なぜなんだ?」と思ってたんですが、ポル・ポト政権下で「わかりません」「できません」は死を意味した時代もあったので、できなくても「できる」というようになっていたのです。

 

さらに目上の人に質問することが失礼と感じる文化で、わからなくても質問しない……。文化の違いによる就労の課題が山積していました。

 

また、カンボジアの経済発展のスピードは日本の3倍以上の速さで発展しています。例えば昇給の頻度が日本のように年1回だと、カンボジアの人たちはそこに不満を感じることもあって。
そこで、責任と役割を明確化し、細かくステップを刻む60段階の評価制度を作り、3カ月に1度評価・昇級を行うなど現地の感覚と就労感に合わせたシステムにしてからうまく回り出しました。人材会社での経験が役に立ったので短期間でも経験できてよかったと思います。

今後は「グローバル6次化モデル」を成功させたいですね。日本の農作物をカンボジアへ大量輸出して加工し、シンガポールや香港などアジアのミドルアッパー層へ販売していくモデルのことで。日本のいろんな地域を巻き込んで地域の農業が発展できるようにしていきたいと思っています。

 

 

Q 海外をめざしたいアトツギへメッセージをお願いします。

A  海外進出を考えているならとにかく“いますぐ”航空券のチケットを買うこと!

 

30分あればできますから(笑)。チケットをいったん買ってしまえば、渡航費を無駄にしたくないから現地のアポイントを取るでしょ?次の行動にどんどんつながるのでおすすめです。

 

家業を継ぐときはスピード勝負。思った時に即行動が基本。意外と自分がいなくても家業はなんとか回ります。海外視察を行って現場感を掴んでください。

 

私も20代だったから体力もあり、何にでもチャレンジできたのだと思います。それに熱意を持っていたら応援してくれる人が自然に現れます。若いうちはとにかく行動あるのみです。

 

 


<会社情報>
株式会社ジャパン・ファームプロダクツ
〒639-2155 奈良県葛城市竹内306


 

<取材後記>

家業に帰るなんて思ってもみなかった人って結構いるんじゃないだろうか。

むしろ帰りたくないと思いつつ、ITや国際協力やビジネスなどに興味ある人って多いと確信した今回のインタビュー。何故そうなるのかはわからないけど、それが家業と結びついて、自らにやりたいことをドライブさせるための手段にもなり得る。

 

だから、アトツギこそ本当にやりたいことを見つけることが大切であり、それを見つけさえできれば家業は輝くのかもしれない。
 

(取材:川端佑典/写真:中山カナエ/文:三枝ゆり)

まつり(川端 佑典)

まつり(川端 佑典)

1994年生れ。家業は厨房設備屋。家業の古臭い経営や精神論が苦手で、ITベンチャーやデザインコンサルなどキラキラな職場で勤務していたが、「ベンチャー型事業承継」伝道師の山野さんに出会い、自身の家業に大きな可能性や魅力があることに気づく。現在、継ぐかどうか絶賛迷い中。世界/日本一周を経験。京都の山奥で瞑想してみたり、和歌山の熊野で田舎暮らしをしてみたりと、楽しいことやってます。

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