2019.12.12

「アトツギこそイノベーターであれ! @東京」開催レポート(前編)

2019年12月4日、家業から離れて都心で仕事をしているアトツギ予備軍、通称“潜伏アトツギ”に向けた「アトツギこそイノベーターであれ! -家業を継ぐ?継がない?―」が、BOOK LAB TOKYOで開催されました。イベントには、すでに家業に戻って活動している先輩アトツギとして、一文字厨器・3代目専務取締役 田中 諒 氏、葡萄のかねおく・4代目園主 奥野 成樹 氏、モデレータに、大都代表取締役社長 山田 岳人 氏が登壇。

 

東京での仕事を辞めて家業に戻った理由や都会生活の未練、古参社員との軋轢などをテーマに、家業に戻ってきてよかったことや前職の経験が活きる場面について語ってくれました。

 

 

 

 

以下、イベントの書き起こし(前編)

 

 


 

主催者挨拶

近畿経済産業局 黒木氏:

 

皆さん、こんばんは。このアトツギベンチャーをテーマにした事業、実は3年前から開催しています。

 

ずっと関西でやっていたんですけれども、今年は全国でベンチャー型事業承継をテーマにしたイベントを展開することになりました。今日お集まりの皆様は、首都圏に住んでいて34歳未満で首都圏以外に実家があるという、すごく狭い方々を対象とさせていただいて開催しております。

今日このあと登壇いただく方はですね、関西を代表するアトツギベンチャーの方に出ていただきます。

 

ではなぜこんな狭くしたかというと、今日のゲストの方々の話に対して、共感できる、また自分ごととして聴いていただきたい、ということで、人数を絞ることにしました。このあとのお三方の話は、決して眠くなるような話はありません。すごく面白い話がたくさん聴けると思いますので、ぜひ楽しみに聴いていただければと思います。

 

で、今日お集まりの方は家業を継ぐ、ということが決まっているという方もいらっしゃるでしょうし、どうしようかな、と正直悩んでいる方もいらっしゃると思いますが、きっとどちらの方に対しても満足いただけるような内容になると思います。

 

すでに決まっている方の背中も、迷っている方の背中も押させていただけるようなイベントになることを期待しています。どうぞ今日は最後までよろしくお願いいたします。

 

 

(会場拍手)

 

 

元電通グループのサラリーマン、現 大阪・難波の老舗包丁屋の3代目

 

司会:改めまして今日は、地方に家業があっていま東京にいる、っていう「潜伏アトツギ」の皆さんが集まっているイベントです。

 

で、多分「ぶっちゃけ家業どうしようかな」って悩んでいる方々が今回集まっていただいていると思うんですけど、今まで家業に戻る前に地元を離れ、こういう東京などの大都市で家業と異なる仕事をしていたけど、今はもう家業に戻ってガリガリいろいろやっています、っていうお三方に登壇いただきまして、前職と家業とのギャップとか、なんで家業に戻ったの、とか、東京での生活に未練はなかったの、とか。そういう話を、ぶっちゃけトークしてもらおうと思っています。ということで、ゲストスピーカーのお三方です。

 

 

 

ゲスト① 田中諒さん(以下、田中):

 

いまご紹介いただきました。大阪の難波で包丁店をやっています。創業67年目で、僕で3代目です。田中諒と申します。よろしくお願いいたします。

 

今日はこういう場にお呼びいただいてすごくありがたいなというか、すごく緊張しているんですけれども。もともとは電通グループのサイバーコミュニケーションズという、メディアさんの広告枠を広告代理店さんに提案する仕事をしていました。この渋谷の近くの代理店さんなどをよく営業で回らせてもらっていたので、すごく懐かしいなと思いながら見ています。

 

 

関西人だからって面白いことは言えるわけではないんですけど、皆さんの悩みの解決になるようなヒントが少しでもあればな、なんて考えています。今日はどうぞよろしくお願いいたします。

 

(会場拍手)

 

 

 

モデレータ 山田岳人さん(以下、山田):

 

では少し(もう一人のゲスト)奥野さんには待っていただいて。これからの田中さんのお話の理解をより深めるために、田中さんの会社がどんなことをしているかとか、規模感とか、そういったお話を先に僕の方から聞いていければと思います。

たしか、包丁の品ぞろえは世界一、だったと思うんですけど、大阪の道具屋筋っていう、東京でいうと合羽橋みたいなところで包丁店をやってるんだよね。僕もお店に行ったことがあるんですけど、まあとにかくすごい品揃えで。

 

料理人の方が来るんかな。

 

田中:そうですね、今お店の6割ぐらいの売上は、プロの料理人の方ですね。

 

山田:そうですよね。創業はどのくらいになるんだっけ。

 

田中:今で67年くらいですね。

 

山田:なるほど、社員さんてどのくらいいるんですか。

 

田中:今でいうと、21名ですね。

 

山田:今、ポジションはどういったポジション?

 

田中:僕は専務取締役で動いています。

 

山田:なるほど、新卒で、東京の広告代理店やったっけ。

 

田中:ごめんなさい。1社目は正確に言うとソフトブレーンさんという会社にいて。ベンチャーに行きたかったんですけど、ソフトブレーンさんの子会社で働いていたんですけれども、1年でクビになってしまって。この話はまたあとでできればなって……(笑)

 

山田:なるほど、じゃあそこはまた後で聞きますわ(笑)。で、いまは専務としてやっていると。今いくつだっけ?

 

田中:いま34歳です。

 

山田:結婚してるん?

 

田中:今年結婚しました!

 

山田:お子さんは?

 

田中:いや、まだこれからというか、来年の4月に……

 

山田:おめでとうございます!

 

(会場拍手)

 

山田:社長になるとしたら、何代目になるの?

 

田中:3代目ですね。

 

山田:あ、お父さんが2代目なんだ。

 

田中:父親が2代目ですね。

 

山田:なるほど。実は、今日は彼のお姉ちゃんもここに聞きにきているということで。お姉ちゃんもトークセッションに参加してもらおうかな、と思います(笑)。

 

 

 

「潜伏アトツギ」に向けて、先輩アトツギ経営者が経験をシェアする場づくり

 

山田:まずは僕たちのことをお話しする手前で、会場の皆さんのこともぜひ聞きたいな、と思うんですが、今回こういうイベントをやるにあたって、実家が家業をしている方で、34歳以下、東京でお勤めで地方から来てますよ、っていう方が35名いらっしゃっています。

 

応募数は相当多かったようなんですが、その基準を満たさない、ということでかなり断ったらしいんですよ。応募数が3,000名くらいかな?(会場笑)ここにいるのは選ばれた35名ですから、ぜひ皆さん後で参加者同士の横のつながりも作っていただけたらな、と思います。

 

じゃあ、家業をすでに継ぐと決めているという方はどのくらいいますか?

 

(会場挙手)

 

山田:……あれ、意外と少ないな。じゃあ継がないって決めている人は?

 

(会場挙手)

 

山田:……お、継がないって決めているけど来たんだ。いいですよ。僕たちが推進している、ベンチャー型事業承継っていうのは、「家業を継ぎましょう」って言っているわけではないんですよね。「家業と向き合っていきましょう」っていうのがやっぱり一番最初のテーマです。

 

そこで「継ぐ」って決めたんだったら、やっぱり腹くくってやろうよって言っています。

 

だから基本的にはアドバイスはしない、と。あくまでも僕たちが経験してきたことをシェアする、っていう場にしていきましょう、という話にしています。

 

みなさんは、これから経営者になる方、経営者になると経営者同士になるわけですよね。田中さんも奥野さんも僕も、経営者という意味では同じだから上下関係とかなくてフィフティフィフテ・フィフティです、っていう考え方のもとにやってます。

 

だから僕たちがアドバイスする、っていうこともしない。お互いが経験してきたこと、たとえば資金調達、僕でいうとベンチャーキャピタルから資金調達をしているので、そのときどういう経験をしたかっていう話をするとか。

 

あとは銀行借り入れにしても「借入とかってどうやってした?」とか、¬¬「個人保証ってどうやってやるの?」とか。要は後継者しかわからないようなことを経験としてシェアしていて。そういう会話ができるような場所を作っているっていうのが、僕らのコミュニティなんですね。

 

で、これには本当に価値があると思っていて。これは仲のいい幼馴染や大好きな彼女でも絶対に理解できないし、その立場にならないと分からないっていうのがあるので、そういう仲間と横のつながりができるっていうのがあるってすごくいいですよね。ということで去年立ち上がったのが今日のイベントを運営している一般社団法人ベンチャー型事業承継です。

 

 

 

実家は創業116年のブドウ農園 28歳で家業を継いで5年

 

山田:では、田中さんの自己紹介はこの辺にして、次いきましょうか。

 

 

 

ゲスト② 奥野成樹さん(以下、奥野):

 

はい、大阪府でブドウ農園を経営しております。奥野と申します。うちの農園、「かねおく」っていう名前なんですけども、明治36年に創業して今年で116年目の農園になります。

ブドウ農園を経営しているっていうと、ちょっとカッコ良さそうな感じもすると思うんですけども、まあ、ブドウ農家です。家族でブドウ農園を経営しておりまして、具体的にはシャインマスカット、とかピオーネとか、デラウウェアという品種を作っていて、それを自分たちでお客さんに直接販売したりとか、市場に出したりしたりとかがメインの事業になります。

 

それだけだとブドウの収益しかないですし、ブドウが採れるのは年に数か月しかないので、体験型のワインを作る事業とか、マンツーマンでこちらから農作業を教える事業などを新しく始めているところです。

 

自分も元々田中さんと同じようにサラリーマンをやってました。電機メーカー、自動車関係の機器を作っている電気メーカーで、商品プランナーの仕事を4年ほどやってから、28歳のときに実家を継いで、5年目になります。今日はよろしくお願いします。

 

(会場拍手)

 

山田:彼ですね、今お話ししたように、農家なのにスーツっていうよく分からない格好してきましてね。「なんでスーツなの?」って聞いたら「東京はスーツで来ないといけないと思った」って(笑)。

 

(会場笑)

 

山田:どう考えてもちょっとブランディング失敗してますよね(笑)。ここは家業らしさが伝わる格好、作業着で来るべきところですね~(笑)

 

(一同笑)

 

奥野:失敗しました(笑)

 

山田:ところで今、年はいくつだっけ?

 

奥野:32歳です。

 

山田:28歳のときに帰ってきたから、もう4年目くらいかな?結婚してるんだよね?

 

奥野:そうですね、結婚してます。

 

山田:で、お子さんは……

 

奥野: 3歳の一人娘がいます。

 

山田:女の子?かわいいね。

 

奥野:本当にかわいいです(笑)

 

山田:うちも女の子二人なんですよ。大学生と高校生の二人。だからね、よく聞かれるんですよ。跡取りどうするんですかって。ま、こういう話もしたいなと思います。

 

 

 

結婚OKの交換条件は「家業を継ぐこと」 リクルートを辞めて、義父が営む工具問屋のアトツギに

 

山田:トークセッションのテーマですけども……あ、その前にまず俺の紹介か。

 

株式会社大都のジャック(Jack/山田岳人氏の通称)といいます。うちの会社は今年で創業82年になる大阪の工具問屋ですね。僕も大学を出た後、リクルートっていう会社に新卒で入社をしまして、6年間営業をして。学生のころから付き合っていた彼女がいてですね、ま、結婚しようっていう話になって彼女の家に「娘さんください」って言いにいったら、「娘をやるから会社を継げ」って言われまして(笑)。結婚して1年後にリクルートを辞めて今の会社に入りました。

 

うちの奥さん、一人っ子だったんです。で、先代であるうちの嫁さんのお父さん、義理のお父さんも一人っ子で、親族もいない。なので、会社を継ぐ人がいないので、「結婚してもいいけど、会社継いでね」ということで、リクルートを辞めて今の会社に入りました。

 

もともとホームセンターさんとかに工具を卸す工具問屋だったんだけども、社員数が15人くらいで。僕が28で入った時に次に若い人が45っていう組織で、20代、30代が一人もいなかったんです。で、入って話が合わないんですよ。話は合わないし、しかもビジネスがものすごい昔ながらのやり方で。商品を仕入れて卸す、っていう全然儲からなくて。本当に会社が危なくなって、ホームセンターに卸すんではでなく、ホームセンターに来ている人たちに直接ネットショッピングで売ってしまえ、とeコマース、ネット通販で直接売ってしまえ!と始めたのが2002年です。だから入社してから5年くらい、トラックに乗ってました。

 

そこでとにかく本業は完全に理解したので、次に打って出ようということで、いまは売り上げのほぼ100%はeコマースって感じですね。入社したときの売り上げから15倍くらいになりました。

 

というところで、古参社員との確執や、2007年に全社員を解雇するという場面もあったり、いろんなことを経験してきたので、そういう話をシェアするっていうことを今はやっています。

 

Jackって呼ばれているのは、うちの会社は全員イングリッシュネームで呼び合う、っていうルールになっているので。社員もみんな僕のことを「社長」って呼ばないんです。みんな「ジャック」って呼びますし、社団のメンバーもそう呼んでくれていますね。そんな会社をやっています。今日はよろしくお願いします。

 

(会場拍手)

 

 

 

亡き祖父が築き上げた信頼と実績に感銘 継ごうと決意したのは高2の時

山田:では、今日お二人に聞きたいことということで、ざっと10個項目があります。

 

では一番最初の質問。「新卒で入った会社に入った決め手はなに?」じゃあ田中さんから。もともと家業を継ぐ気はあったの?

 

田中:ありました。高2くらいで家業に入ろうっていうのは決めていましたね。

 

山田:そうなんだ、自分で?

 

田中:自分で。

 

山田:それはなんで?

 

田中:おじいちゃんが創業者なんですけど、おじいちゃんが亡くなったのが高校2年生の時でした。ぼくそれまではミュージシャンになろうと思っていたんですね。

 

山田:ならんでよかったねえ。

 

(会場笑)

 

田中:ほんま、そう思います(笑)。忘れなられないんですが、学校の帰りに電話がかかって来て。「おじいちゃんが亡くなったから、あんたはよ、きぃ」って。お葬式が終わって、そのあと今のお店である難波の包丁店に行ったときに、もうおじいちゃんが作ったもので溢れていたんですよ。包丁1本にしてもそうだし、社員さんもおじいちゃんに惚れ込んできた人が多かったし。店構えからお客さんから。それを見て、「人って死なへんねんやな」って思ったんですよね。

 

おじいちゃんが作ったものがずっと、おじいちゃんという人間は亡くなっても、法人はずっと続いているっていうのを目の当たりにして、ありがたいことにこれを継いでいける立場にいるんだったら、これは絶対に継いでいきたいなって思って。それからはそういうことばっかり考えていました。

 

山田:あれ、兄弟はいるんだっけ?

 

田中:姉と妹がいます。

 

山田:男の子は自分だけだし、ってことだよね。でもなんかいきなりいい話から始めたね。

 

(会場笑)

 

山田:なるほど、そういうきっかけがあったんですね。で、新卒ですぐに家業に入ってもよかったんじゃないの?

 

田中:全然違うところに一回行っておきたかったんですよ。親もけっこう優しいほうだったんで、厳しい業界に一度身を置きたいということで。大阪から出て一人で東京いこうっていうのが最初に選んだ軸でしたね。

 

山田:あれ、おじいちゃんが創業者だよね。

 

田中:そうです。

 

山田:ああ、じゃあもうおじいちゃんは本当、カリスマだったんだね。

 

田中:本当に、そうですね。

 

山田:で、じゃあ、就職先はどうやって決めたの?東京だったらどこでもよかったの?

 

田中:東京のベンチャーに行きたかったんですよ。本当にそれだけです。まだ作られてから10年以内の東京の会社っていう軸だけで。

 

山田:ここにいる人たちはみんなアトツギだからあれだけど、「ベンチャー」っていうだけでかっこいいよね。そういうのあるよね。

 

田中:そうですね。スタートアップってうらやましい。

 

山田:「スタートアップ」とか「ベンチャー」ってかっこいい。「後継ぎ」は、ださい、みたいな。なんなんですかね、そういうのありますよね。そういうイメージを僕らは変えていかないといけないんですよ。アトツギかっこいい、みたいな。

 

 

 

俺にはブドウしかない 同世代のある起業家との出会いで心が動いた

 

山田:じゃあ、一緒の質問しようか。いい話すぎた後でやりにくいかもしれないけど。

 

奥野:そんなにいい話はできないんですけども、田中さんとは対照的で、とにかく家から離れたかったっていうのが一番ありましたね。ガキの頃からずっと畑仕事の手伝いをやってきたんで。

 

山田:手伝ってたんだ?

 

奥野:やってましたね。お盆休みもないし、正月もなかったんで。それでとにかく家から離れられる場所にいきたいと。なおかつ、もう将来的には海外に逃亡しようと思っていました。なので、海外の売上比率が高い会社っていう軸で企業選びをして9割以上が海外だから、「これだと逃げられそうやんな」って感じで選びました。

 

山田:新卒のアルパインのこと?9割、海外なんだ!

 

奥野:その当時は9割が海外でした。正直にいうと就活に失敗して、限られた中から一番遠くに行けるのを選んだという感じでしたね。

 

山田:じゃあ、そのときは「継ぎたくない」って思っていたの?

 

奥野:もう完全に。絶対に継ぐか!って思ってましたね。

 

山田:じゃあそのまま2番目の質問にいきますけど、「なんで家業を継いだの?」と。なんでそんなに昔から嫌だったっていう、農家という家業をなんで継ごうと思ったの?

 

奥野:結論をいうと、かっこいい起業家に出会ったんですよ。ちょうど願いが叶って、東京に本社がある会社だったんですけど、福島のいわき市っていう場所に勤務地が決まったんですよ。これでもう帰らなくて済むって思ってたんですけど。

 

ちょうど入社する直前に東日本大震災がありまして、で、福島県のいわき市っていうと、福島第一原発から100キロくらいのところに会社があったんですよね。でまあ、現地に行くと悲惨な状況で、人が亡くなられたりとか、たくさんネガティブなことがあったんですけど、一方で、東京でかなりステータスのある企業や、高い学歴をもった同年代の若いやつが福島県に帰って来て、自分でビジネスを起こす姿を目の当たりにして。

 

そいつらと話をしていると、やっぱり根底にあるのは自分がどう見られているかとかじゃなくて、福島県のために、自分の故郷のために自分の人生の炎を燃やしたいっていう感じなんですよね。

 

それがしんどそうじゃなく、楽しそうだったんです。こいつらかっこいいなぁって。しかも同い年の奴らがたくさんいたんです。俺の場合はなにやろうって思うと、もうブドウしかなかったんです。親父が一生懸命働いてきているのをずっと見てきたんで、これをなんとかしたいなと思って、家業を継ぐことにしました。

 

 

 

ロジックで立ち向かって父親と衝突 結果を出さないと認められない世界

 

山田:それは自分からお父さんに言ったの?

 

奥野:いいました。

 

山田:そしたら(お父さん)なんて言ったの?

 

奥野:絶対やめろって。(笑)

 

山田:そうなんだ、なんでなん?

 

奥野:「儲からへんし。労働に対しての対価は少ないし」って。そう思うとなかなか……。

 

山田:でも反対を押し切って、やるって言ったの?

 

奥野:そうですね。

 

山田:今はお父さんと一緒にやっているの?

 

奥野:そうですね、一応一緒にはやっていますけど、一緒の畑では絶対に仕事はしないです。ケンカするんで。

 

山田:畑で分けてるんや。こっからここは俺の畑、みたいな?

 

奥野:畑で分けてます。だから顔もほとんど合わせないですね。

 

山田:なんでそうなるんだろうね、親子って。聞き入れがたい?

 

奥野:聞き入れがたいですね。もう全然ロジックがないんで。「おれがこうしてきたから、こうすんねん」っていう。まったくそこに納得がいかないんで、おれは「絶対にこうしたほうがいい」って論理的に言うんですけど、そこは絶対に合わないんで、(畑を)分けます。

 

山田:それでケンカになる?

 

奥野:最近はもうケンカもしないですね。口をきかないです。事務連絡だけですねー。

 

山田:なんかあまりいい事業承継ではないね(笑)(会場笑)

 

奥野:ただ、一応だんだんと認めてくれるようにはなってきていまして。

 

山田:まだゆうても、年に1回しか収穫できないんだったら、4回か5回しか経験してないわけでしょ。

 

奥野:おっしゃる通りで、父親からしたら、まだまだ僕は若造だし、そう思われるのも仕方がないなっていうのは自分でもわかっているんです。だから結果を出すことをやり続けて、徐々になにも言われなくはなってきましたね。

 

山田:なるほどね、そういう部分はありますよね。やっぱりある程度先代を納得させるためには、結果を出し続けないと。できもしないのに、知りもしないのに、何言うてんねん、っていう世界はやっぱりあるじゃないですか。古い業界程あるだろうし。創業100何年っていったら、なおさらそういうのってあると思うんですよね。なるほどね。

 

 

 

50歳で若手、計算はそろばん?! 家業カルチャーショックあるある・・・

山田:これからお父さんとどうやっていくのか、っていうのは楽しみですけども。じゃあ、田中君は、帰ったタイミングってどういうタイミングだった?

 

田中:30歳くらいで帰ろうとは思っていたんですよ。

 

山田:最初から継ぐ気だったからね。

 

田中:そうですね。で、30歳になったときに前職のネット広告の会社で、自由度の高い企画で、自分の爪痕残したいなってなっちゃって、でまあもう1年頑張らせてもらって、で、満を持してというか、31歳になったタイミングで戻ってきましたね。

 

山田:いま34歳だから、まだ帰って3年か。じゃあ業界の中ではペーペーやな。

 

田中:いやもう本当にそうですね。70歳で若手って言われる世界なんで(笑)。

 

(会場笑)

 

山田:いやもう本当に業界によってあるんですよ。僕らの金物業界も本当にそうで。

 

びっくりしたのが、リクルートを卒業して、28歳のときに今の会社に入って。行ったら次に若い人が45歳で。やっていることがすごくアナログ。業務も全部手書きだし、経理のおばちゃんがいるんですけど、計算はそろばんでやるんですよ。

 

「うそやろ!」って思ったんですけど。でも、めちゃくちゃ速いんです。おばちゃんに電卓よりも早くて簡単に計算できるから、ってエクセルを教えてあげたんです。ここにこう数字を入れたら、勝手に計算してくれるからって。そしたらエクセルに入れたやつをそろばんで計算し始めるんですよ。合ってるかっていうのを確認してるんですよ。

 

(会場笑)

 

山田:「合うてるかどうか確認してんねん」っていうから、「絶対合うてんねん」っていうんだけど、「理解できひん」と。業界によっては全然古い業界で、うちの先代で当時70歳くらいだったかな。「今からうちの若いやついかせるわー!」って電話をする声が聞こえて、「よし俺の出番かな!」と思ったら、「ニシモトさん、いってきて~」って、50歳のおじさんいかせるっていう。そういう、業界なんですよね。今彼が言ったのも、そういう話ですよね。

 

田中:皆さんいま笑われていましたけど、うちの会社の経理の方も、そろばんでしたし。(会場の皆さんも)たぶん戻られる方いたら、けっこうな割合でそろばんですよ(笑)。

 

 

 

東京での仕事をやり切り、家業を継いだのは31歳の時

 

山田:でもこれって帰るまでは分からないんですよね。帰って初めて気が付く、というか。僕は特にそうですけど、自分の家業ではなかったので、会社に入るまで社員さんと会ったことがなかったんですよね。初出社の日が初めて社員さんに会う日だった。どういう人がいるかとかは全然知らなかったし、どんな仕事をしているかも全く知らなかった。決算書も見ずに入ったし、たぶん見てたら入らなかったと思いますけど。

 

そういう、意外と自分の家の仕事なんだけれども、本当の実態とかリアルな現場を知らないっていうのは、実はけっこうあるんじゃないかなと思います。

 

で、話を戻すと、(田中さんは)30歳で帰るときにお父さんに帰って来いって言われたの?

 

田中:「30歳くらいかな」、と前から言っていたんで、30歳になる手前くらいで「お前、いつ帰ってくんねん」とはなってたんですよ。ただやりたい仕事があるから、もう1年だけやらせてくれ、って言って31歳で帰った感じですね。

 

 

 

「ブドウの枝切りで1日が終わるのでは」 自分の学びが止まってしまう不安との戦い

 

山田:じゃあそこはもうお父さんはウェルカムだったんだ。そこは奥野さんと全然違うところだね。

 

田中:ウェルカムっていうより、たぶん戻ってきてほしいとは思っていたと思うんですよ。今思えば、「戻って来い」とは言われたことはなかったですね。だから戻る、って言った時にすごく喜んでたとは思いますね。なんかそれはいろんな方から「喜んでんで」って言われましたね。

 

山田:お父さん、直接言わへんの?

 

田中:言われなかったですね。

 

山田:親子ってそんなもんなのかもしれへんね。

 

はい、次の質問いきましょう。「戻ってよかった、と思うできごと」。要は家業に入ってよかったと思うこと。じゃあ奥野さんからいきましょうか。

 

奥野:矛盾するようなんですけど、やっぱり親父が内心喜んでくれてるんですよ。軽トラ新しいのを勝手に買ってたりとか、こうやって前に出て話させてもらうとか、ビジコンに出てなんか賞とったとかいったら、なんにも言わないんですけど、「おめでとう」ってボソッというんですよ。そういうのは「あ、よかったな」って思うのがひとつ。

 

もう一つは、「心配していたことが、思ったより大丈夫だった」っていう話なんですけど。

 

毎日が農作業なんです。今の時期でいったら、毎日ブドウの枝を切ることだけで1日が終わるんですけど、そんなことをしていると自分の学びが止まってしまうんじゃないかってすごく心配で。(そんな不安をかかえつつ)会社を辞めたんです。なので田中さんと同じで最後の1年はめっちゃ頑張ったんですけど。

 

でもいざ家業を継いでみると、人間の内面的なところでけっこう鍛えられたというか。会社員をやっていたころより、幾分自分が成長できているなって思えるくらい自分の内面的に鍛えられているなって思うので、それが思ったより良かったな、って思います。

 

山田:自分が成長できているなって感じられるのが、よかったって思うってこと?

 

奥野:そうですね、いま感じてますね。

 

 

 

家業を継ぐと決めたのは自分 いつの間にか他責にしないクセがついた

山田:それは面白いね、というか深い話だね。どうやって学びを得ているの?社員さんはいないって言ってたよね。

 

奥野:知識とか、技術の学びでいうと他の篤農家(とくのうか)の方の畑にいって学ぶっていうのはあるんですけど、どちらかというと内面的な話ですね。やっぱり経営者の先代である父親とのいざこざがあったときに、会社員の頃はきちんと話の筋が通っていたら話が通っていたのが、今は違うという葛藤のなかで鍛えられるというか。うまく言葉にはできないんですけど、もし会社員をやっていたら、こういう経験はなかっただろうなっていうのがありますかね。

 

山田:なるほどね。でもそれはありますよね。愚痴を言っても仕方がないというか。だってそれは自分が家業を継ぐって決めて入ったんだから、誰に愚痴いうてるんっていうね。

 

僕なんかももう、リクルートでずっとスーツ着てアタッシュケースもって営業していたのに、ある日突然、毎日トラックに乗って営業に行くというのが、配達ですよね。

 

もう車を道に停めて寝たりしてたからね。あれ、俺何してんだろって。くさってた時期はあるけど、でも誰かのせいにしても仕方がないというか。他責にできないじゃないですか。だって決めたの自分じゃんっていう。でもそれは癖がつきますよね。他責にしないっていう癖がつく。

 

奥野:そうですね。

 

山田:世の中いますよね。うちの会社の中でも「他責にしない」っていうルールがあるんですけど。チーム同士でも、システムが悪いとか営業が悪いとか、そういうことを言い出す奴がいるんでね。もしくは制度が悪いとか、社会が悪いとか、学校が悪いとか…「どこまで行くねん!」っていう。

 

皆さんもこれから経営者になっていくと思うんですが、そこは経営者として誰のせいにもできない。それこそ「先代が悪い」とか言ってどうするんだ、っていう。ありますよね。

 

奥野:(笑)そりゃ、腹立つこともいろいろ言いたくなることもありますけど、でも誰にも言い訳はできないなっていうのを、自分の中で落としていく感じですね。

 

山田:なるほど、そういう学びね。それを枝切りながら考えているわけですね。
しかも相手が生き物ですからね。そのあたりは僕らとまた違うんだろうなって思いますけどね。天候のせいとかにできないじゃないですか。天気が悪いから収入がありませんっていうわけにもいかないでしょうし。

 

奥野:そうですね。

 

 

 

後編へ続く

 

 

今回レポートされているイベントはこちら

https://peatix.com/event/1342133/view

 

記事:櫻井朝子、写真:塩川雄也

アトツギベンチャー編集部

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