2017.10.05

【インタビュー vol.1】和傘ブランドで培ったノウハウで伝統工芸を世界へ(日吉屋/西堀 耕太郎氏)

日本で唯一の京和傘の製造元「日吉屋」
5代目の西堀氏は、高校卒業後カナダに留学。帰国後に地元和歌山県の市役所に勤務していたが、妻の実家である「日吉屋」で京和傘の魅力に目覚め、和傘職人の道へ。
インターネット販売やメディアと連動した新しい京和傘のブランディングや各分野のデザイナーやアーティストとのコラボレーションにも取り組む。

 

「伝統は革新の連続である」を企業理念に掲げ、和傘の技術や構造を活かした新商品を積極的に開発。
照明デザイナーと開発した和風照明「古都里-KOTORI-」シリーズは、グッドデザイン特別賞など多数受賞し、海外へも展開。2008年にTCI 研究所を設立し、日本の伝統工芸や中小企業の海外向け商品開発や販路開拓の支援も行っている。

 

 

Q まずは奥様のご実家の家業である和傘についてどんな印象でしたか?

A  妻と付き合っていた頃、妻の実家へ訪れて初めて和傘を見たのですが、“渋い”とか“かっこいい”という印象でした。

身近に見たことはなかったので、斬新な感じがして。手で作っていることにすごいなと驚いたことを覚えています。

 

だから自分が感じたように価値を感じる人は、少ないけど一定数いるんじゃないかと思って。ですが、先代である妻の母は廃業するつもりだったので、京都に1軒しか残っていないのにもったいないと感じていました。

 

 

Q 日吉屋を継ごうと決意するまでの気持ちの変化やプロセスを教えてください

A 前職では和歌山県の新宮市市役所で観光行政に携わっていました

インターネットが普及し始める頃にネット担当だったこともあり、日吉屋のホームページを作れば和傘の宣伝になるんじゃないかと思い、手伝い始めたんです。

 

すると「ホームページを見た」と和傘に興味のある方が来店してくださったり、メールで注文をくれたりするようになって。そうなるとだんだん自分も和傘づくりに興味が出てきたので、職人さんから教えてもらうようになりました。

平日は仕事、土日は車で和歌山から京都まで4時間かけて行って教えてもらい、ビデオを撮って記録して、帰ってからは材料を持ち帰って練習してと、そんなことを5~6年続けていました。その間に結婚もしましたが、まだ継ぐとは決めていませんでした。

 

そのうち、職人としての技術も身についてきて、ホームページのアクセスも注文も増えて忙しくなったので、廃業するのではなく、なんとかつないでいきたいと前職を辞めて継ぐことを決意したんです。

 

 

Q 和傘から新たな取り組みである和風照明に挑戦したきっかけやご自身で培った経験を教えてください

A 和傘から何か新しい事ができないかと思っていた時に、天日干しという屋外で和傘を干す製作過程で和紙を通した太陽光がキレイだったので、照明に使えるかもと思ったことがきっかけでした

三角すいの和傘の形に近いランプを作って、東京ビックサイトで毎年開催されているインテリアトレンドショーに出展したのですが、「すごいですね」「キレイですね」とは言われるけれど、全然注文がとれなくて。

 

なぜご注文いただけないのか聞いてみると「都心のマンションで和室もないし、こんな大きなものを置く所はありませんよ」と言われて始めてお客様のことを考えていないことに気づきました。

それから、外部の色々な方と交流するようになり、照明デザイナーの方に見てもらったところ、民芸色が強すぎるというアドバイスと現代的な家具に合う筒型を提案していただいたんです。

私たちは和傘の“三角すい”が当たり前でしたが、“筒型”が新鮮でした。それだと和紙と竹があれば他社でも作れるので、和傘の骨組みを使って開閉できるようにしたいと伝えたところ、照明デザイナーの方は“たためる”とか“動く”ということが新しく感じられたんですね。こうして異業種の視点から新しい発見が生まれました。

 

そもそも和傘照明は、マーケットも狭いのでグローバルニッチ戦略で、海外のお客様も含めてその分母を大きくしていきました。照明器具は輸送の際に壊れやすいためコストがかかるのですが、和傘の照明はたたむと省スペースで壊れにくく、コストも抑えられることもあって15カ国に展開できたのかなと思います。

 

 

Q 会社が存続していくために何が必要だと思いますか

A  和傘はもともと奈良時代に日本へ伝来したときは“魔除け”でした

 

それが時代と共に“雨具”になり、江戸時代は浮世絵に描かれる“最新のファッションアイテム”になりました。それが現代において、形や用途を変えて“照明”になるというのは正当な進化だと思うんです。伝統は革新の連続なのです。

ものづくりのメーカーは、お客様のために作っているので伝統の有無は関係ありません。今の伝統工芸品が売れないのは、日常生活から乖離してしまって必要がないからなんですね。伝統的なことをしっかりとやりながらも、今の時代に合った商品作りが必要です。

 

また、社内でいつも同じ人と同じ話をしてもいいアイデアは生まれないので、外部の人の視点や角度で見てもらうことが大切です。自分たちでも考えますが、外から見える自分たちのコアバリューや強みを伸ばすことが必要ではないでしょうか。

 

 

Q 未来の後継者に引き継いでいきたいものは何ですか

A 家業だからといって家族だけが継ぐのではなく、「やりたい」と思った人が継げばいいと思っています。

ですが、「継ぎたい」と思ってもらえる仕事や体制、環境を作ることが大事

そして、ものづくりは大切ですが、いいものであることをわかってもらわないと売れません。特に先進国で作る手工芸品は高価なものですから、ブランディングやどういう人がどういう想いで作っているのか、背景にあるストーリーに共感してもらう努力が必要です。

 

これまで、和傘屋の息を吹き返させて、発展させてきた経験を活かして、日吉屋でなくても、私でなくても成功できる方法論を、次の時代の人に渡せるようにしたいと思っています。

 

 


【会社情報】

伝統工芸「京和傘」日吉屋 / 株式会社TCI研究所 (TCI Laboratory Co.,Ltd.)
〒602-0072 京都市上京区寺之内通堀川東入ル百々町546
日吉屋公式サイト  :http://www.wagasa.com
TCI研究所公式サイト :http://www.tci-lab.com


 

<取材後記>
家業を継ぐ人は一度外の世界を知り、客観的に見れる自分を作るためにも、家業とは関係ない仕事をしてみた方がいいといわれたことが心に残っています。
「いつも同じ人と同じ話をしていても突破力のあるアイディアは生まれない。社外の人とも交流し、外からの目を入れて、自分たちが見えていなかった強みに気付くことが必要」という言葉を聞いて、まずは家業の外の世界に踏み出すことが大事なんだと思いました。一見無関係だと思えることでも、自分がやりたいと思えることを自分らしく一生懸命やっていれば、いつか家業にも役に立つ日が来るんだと、気が楽になりました。

 

 

(取材:島田伊吹/写真:中山カナエ/文:三枝ゆり)

 

シマダ(島田 伊吹)

シマダ(島田 伊吹)

1993年生れ。家業は浄水設備業。現在、ベンチャー企業で営業担当として勤務する傍ら、本プロジェクトに参画。アトツギとベンチャーのハイブリッド型「ベンチャー型事業承継」を世の中に発信するべく奮闘中。学生時代は、ヒートテックなどで知られる某大手アパレル会社に二回内定して二回内定辞退しながら「柳井さんが家業の洋品店を継がなければ世界のユニクロは誕生しなかった」とドヤ顔で豪語できるド厚かましさがウリ。「主食はうどん、食後はカルピス」生活を続け、ハタチそこそこで糖尿病になりかけたことで、一転健康オタクに。挙句の果てに「サウナ・スパ健康アドバイザー」の資格を取得。好きな水風呂の温度は16度。風呂マナーに世界一うるさい。

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