2021.02.12

【インタビューvol.43】街の不動産屋から第二創業でまちづくり事業を展開。行政や他業種を巻き込み、法隆寺がある地域観光の需要開拓に挑む(斑鳩産業株式会社 井上 雅仁 氏)

世界遺産・法隆寺がある奈良県斑鳩町ののどかな道をバギーで走る周遊プログラムを提供する「奈良斑鳩ツーリズムWaikaru(ワイカル)」。観光客に長く滞在してもらえるような工夫を凝らし、茶道や書道など外国人向けプランのほか、リース作りなど国内客に人気のプランも開発。2020年1月には東南アジアの三輪自動車トゥクトゥクを導入し、斑鳩の魅力を味わえるコース提案を開始した。

 

この日本版DMO(観光地域づくり法人)に登録された「奈良斑鳩ツーリズムWaikaru(ワイカル)」の運営のほか、土産物・カフェ・雑貨などの複合店舗、築128年の歴史的建造物をリノベーションした和カフェなど、多彩な観光事業を展開しているのが斑鳩産業株式会社だ。

 

もともとは先代の井上敏氏が創業した不動産会社だったが、二代目の井上雅仁氏が不動産事業を軸に第二創業をし、まちづくり事業を展開。行政や地域の他業種を巻き込み、観光地域づくりの新たな取り組みに挑戦している。

 

 

Q. 家業へ入る前は大和郡山市の職員をされていたそうですね。

A. 資格も取りたいし、海外にも行ってみたいという気持ちがあってメリハリの利く公務員を選びました。40歳になったら継ぐつもりで就職したんです。

 

子どもの頃から父にいろいろな所へ連れていかれては「うちのアトツギ」と紹介されていましたから、物心ついた時から家業を継ぐことは意識していました。

 

そんな父に「まずは民間企業で働いてみろ!」と言われていたこともあり、家業の外で就職しようと思っていたのですが、ちょうどバブルが弾けたタイミングで。私は工学部出身だったこともあり、大和郡山市の土木技術職として入職したんです。駅前の区画整理や、駅前広場、都市計画道路、公園、下水道などを作る「土木」が仕事でした。

 

ゆくゆく継ぐことを意識はしていたので、31歳の頃には、市役所に勤めながら平日2日は残業せずに専門学校へ通い、宅建の資格を取得して。振休などを利用して海外(11か国)に行って見分を広げるなど、仕事と両立しながらやりたいこともできていました。市役所の仕事は本当に楽しくて大好きでしたね。

 

 

Q. ご自身が家業に入ることになったきっかけは何だったのですか?

A. ある日の仕事中、父が病気になったと母から連絡があったんです。その電話の2時間後には役所を退職することを上司に伝えていました。33歳の時です。

 

 

自分の中で「時がきたな」という感覚があって。悩むことはなかったですね。
退職の意思を伝えた約半年後に退職したのですが、辞めるまでの間に出会った住民の方たちから「いまどき役所みたいな安定した仕事、辞めるなんてもったいない」と何人にも言われたんです。

 

その話を病床の父に話すと「それはおまえが斑鳩産業の可能性に気づいてないからや。斑鳩産業でよかったと思うかどうかは、これからのおまえ次第やで」と言われて。ふっと気持ちが軽くなったと同時に、役所の人や周囲の人から「何かおもろいことやってるらしいな。ちょっと話聞かせてくれよ」と呼んでもらえるような存在になりたいと思ったし、それを家業で実現したいと思ったんですよね。

 

でも私は不動産のことも経営のことも何もわからなかったこともあり、どうやってやりがいのある会社にするのか、注目してもらえる会社ができるか悩みまして。考え抜いた末に最初に1つだけ決めた目標が「毎年1人採用して成長する会社にしよう」ということでした。

 

 

Q. 急遽継ぐことになり、ご苦労もあったかと思いますが……

A. 不動産業は全くの素人で、教えてくれる存在もいなくて。何億という高額な取引のお手伝いをする仕事に怖さはありましたね。試行錯誤しながら時には自分がお客さんになって体験することで、不動産のイロハを学んでいきました。

 

もともと、父が営業で母は経理という2人で会社(街の不動産屋)をしていましたから、父が亡くなったあと家業に入った私に、不動産業のイロハを教えてくれる人はいませんでした。ひとまずなんとしてもノウハウを手に入れるため、自分がお客として体験することを思いついたんです。当時、賃貸マンションの管理運営のほか、分譲マンションの区分所有が15戸あったので、母に頼んで区分所有のうち3戸を売らせてもらいました。

 

大手仲介業者に依頼して、どのように接客しているのか、書式や契約の結び方など、客として経験しながら学んでいったんです。

 

試行錯誤していくうちに、一般の方は、不動産は固定資産と思っているけれど、不動産屋はそれらを流動資産と捉え、いつでも売れるし、いつでも買えることができるのだと気づきまして。カフェの運営をやってあかんかったら売ったらいいと思えるようになったのは良かったかもしれませんね。借金もありましたが負の遺産と思わなくなったことは大きかったかもしれません。

 

その後、入社した33歳から社長に就任する40歳までの間は、既存事業の厚みを持たせる動きで事業を拡大してきました。37歳くらいのタイミングで奈良県経営革新計画の認証を受け、新たなリフォーム事業もを立ち上げたり。

 

私にとって大きな転機だったのは、30代の後半で商工会青年部の奈良県の会長になったことですね。入社と同時に加入していた斑鳩町の商工会青年部で役職を担っていたんですが、4年目に商工会青年部の県の会長を任されたんです。周りは経営者として先輩ばかりなので、今までと同じことをしていてもダメだなと思い、皆さんが知らない情報を提供して、認めてもらいたくて「いっきに6つの事業をします!」と宣言し実際に実行していったんです。

 

多くの方が応援してくれた一方で、反発も少なからずあって。反発された方にも情熱を持って一人ひとりに伝え続けたら、「好きにせい」と言ってもらえたんですよね。2年の任期内で全て実行したことで、少しは周りの方に認めてもらえたかなと感じています。

 

この後、新規事業が生まれるきっかけとなった人との出会いも商工会での出会いや繋がりがきっかけで、後々の事業や自分を助けてくれたありがたい存在ですね。

 

 

Q. いま力を入れていらっしゃる「まちづくり(観光)事業」に取り組まれたのはどういうきっかけだったのでしょうか。

A. 「なら観光ビジネスカレッジ」に参加した際に、アドバイザーから「不動産屋が生き残るには、街を元気にして賑わいを作らなあかん、街の価値を上げて資産価値を上げる必要がある」と言われ、ハッとさせられて。

 

40歳になり社長に就任した時に、第二創業促進補助金の採択を受けてまちづくり事業に踏み出したんです。不動産とは違う、もう1本の大きな幹がほしくて。そこでアドバイザーの言葉から「自分で不動産の価値を上げる」という発想ができたことは大きかったですね。

 

それに、観光業を選んだ理由は「巻き込める業界が大きい分野だから」。私は根本的に自分たちの住むこの街や周辺の地域がより良いものになって欲しいと思ってますし、貢献したい気持ちが強くて。

 

観光業って不思議で、取引する相手が観光客だったり、観光にまつわるものであれば、どんな業種でも観光業に携わる存在になれるんです。「いまの自分の事業は観光と関係ないと思っているかもしれないけど、そこに足を踏み入れたら「観光客や観光業界の会社」という新しいターゲットが増えるってことだから」って話をし、車屋さんやお花屋さん、中華料理店、税理士の方など地域の様々な業種の方を巻き込んで、体験ツアーの商品化や土産物の商品開発も3年くらい行いました。

 

商売は難しく考えるものじゃなく、3つだけなんです。「売るもの」「売る相手」「売る方法」。この3つに集中すればいい。そして、売るものを考えるときは四則演算。足す、引く、かける、割るでそのものの強みを強化していく考え方が役立っています。

 

 

Q. 今後の事業展開を教えてください。

A. 2021年4月に「WEST NARA広域観光推進協議会」を発足し、事務局としてプロモーションや運営を行います。これからも行政の枠にとらわれずお客様にとって魅力的な観光資源を活かしていきたいですね。

 

斑鳩町、平群町、三郷町、安堵町、大和郡山市、王寺町は、これまでそれぞれが単独でプロモーションを行っていたので、直径6kmほどのエリアで距離的には充分巡れるのに、パンフレットやポスター、VR等も別で作っていて。

 

観光客からしたら、本当は近くにあるのに、それぞれの街に行かないと情報が手に入らない。情報がまとまっていないのは不親切ですよね。一度に観光スポットの情報をたくさん知ることができるよう、「WEST NARA広域観光推進協議会」としてパンフレット等を統一し、一緒にプロモーションしはじめました。

 

コロナ禍の中ではありますけど、行政の枠にとらわれず、より広域に、無駄を省き、観光地域づくりに貢献していきたいと思っています。

 

 

Q. 最後にアトツギに向けてメッセージをお願いします。

A.  自分の強みをどう活かすか、フルに活かして伸ばしていくこと。自分をいかに表現していくことが大事なんじゃないかな。

 

その強みを見つけていくには、日々のアクションとその振り返り、そして検証結果をまた行動に生かすこと。誰もが日常から小さなPDCA(Plan(計画)-Do(実行)-Chec(検証)-Action(改善))のサイクルを回していると思うんです。
強みを見つけていくには、計画と実行だけで終わらせずに、きちんとPDCAを回して成功と失敗を繰り返していくと、失敗しないことが浮き彫りになってくる。最後に残ったものが強みなんですよね。

 

それに、後継者が経営者として認められるには、しっかり信用してもらえるよう自分をいかに表現するかが大事になってきます。裸の王様にならないためにも、自分が周りから「何で認めてもらえているか?」にも気を配りつつ、しっかりと自分の強みを表現していってください。

 

 

(文:三枝ゆり、写真:坂本葵)


<会社情報>
斑鳩産業株式会社
https://www.ikaruga-m.com/
waikaru.com
https://www.ikarugs-s.com
〒636-0116 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺2-2-35


 

アトツギベンチャー編集部

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