2019.11.08

【インタビューvol.33】父とともに、100年以上続くワイナリーを支える5代目。古民家やぶどう畑を活用し、地元の風景を守る(カタシモワインフード株式会社/高井 麻記子氏)

かつてはぶどう畑が広がっていた大阪府柏原市。後継者不足や都市開発により、徐々にその風景が失われていった一方で、唯一100年以上ワイン作りを続けているのがカタシモワインフード株式会社である。そのワインは非常に評判高く、2019年6月に開かれたG20大阪サミットでは、ワーキング・ランチや夕食会などで合計7種類のワインが各国首脳に振る舞われた。

 

そんなカタシモワインフード株式会社で、醸造から事務仕事までを幅広く仕事をこなし、スタッフをまとめているのは、5代目の高井麻記子さん。もともと家業を継ぐ気はなく、「地元やワイン作りからなるべく遠く離れたところへ行きたい」と外資系のIT企業に勤めていた。しかし、10年ほど前、体調を崩したことをきっかけに「このまま家業を避け続けていられない」と実家へ戻る。

 

家業に入ってからは、あらゆる仕事を手伝う日々。その中で、徐々に自分が主体となって手掛ける仕事を増やしつつ、仕事の進め方やスタッフとの関わり方を変えてきたという。現在も、社長である父親の高井利洋さんとともに、新しい挑戦を続けている。

 

 

Q.子どもの頃から家業を意識していましたか?

A. 3才ごろから、祖母に「お前が継ぐんやで」って呪いをかけられてきました。けれど、絶対継ぎたくなくて。大学から一人暮らしをして、東京で就職し、海外逃亡もできるようにと外資系のIT企業に勤めました。IT分野を選んだのも、ぶどう畑やワイン作りからなるべく遠い仕事に就こうと思ったからです。

なぜなら、廃れていくぶどう畑を見たくなかったから。小学校低学年の頃はぶどう棚の下を歩いて登下校していたのに、中学になる頃にはぶどう畑がマンションに変わってしまい、そこからどんどん街になっていって……。そんな地元の風景を見ているのが辛くて、逃げました。

 

 

前職は徹夜も当たり前の過酷な職場でしたが、「家業に入るよりマシ」と思えば、どんなプレッシャーにも耐えられました。そうして10年近く外で働いてたんですが、出産後に体調を崩してしまい、死ぬかもしれないと思うくらいにしんどくて。そのときに、「このまま死んでしまったら、あの世でご先祖様に袋叩きにされるかも」って怖くなったんです(笑)。食わず嫌いをしていた家業をちらっと見てから嫌いになろうと決めて、戻ってきました。

 

 

 

Q.家業に戻ってからは、どのような仕事を任されたんですか?

A.「明日から事務所に入るわ」と言い、空いているスペースを掃除し、パソコンも自分で買って、自分の席を作りました。もちろん仕事など無いので、たとえば展示会用のキャプションを書くといった、誰も手を付けられていない仕事を拾うなど、事務も工場の仕事も手伝いました。

 

この時期に幅広くいろんなことを手伝った経験が活きているんです。というのも、とある年の年末にベテラン事務員さんが一斉に辞めてしまったことがあって。1年で一番忙しい時期に辞められてしまったので大ピンチなんですけど、手伝ったり、周りで作業をしているのを見聞きしたりしていたので、過去の履歴なども参考にしてなんとか出来たんです。いろんなスキルを身に付けたことで、アクシデントがあっても「なんとかなる」って思えますね。

 

 

Q.事業の肝であるワイン醸造は、簡単にできるものではないと思います。どのように教えを受けて、できるようになっていったのですか。

A.それが、教えてもらえなかったんですよ。そもそも、私が家業に入って3年目くらいの年に、突然父親が醸造を放棄したんです(笑)。

いつも、ぶどうが入ってきたら父親がスタッフに指示を出すんですが、その年は「ぶどう入ってきたで」って言っても、「ふーん、そうか。好きにしたらええやん。俺は他のことをやる」って返されて。パニックですよ(笑)

 

ワイン作りって、ぶどうが入ってきてからのすべての過程を帳面で管理しているんです。だから、スタッフと相談したり、過去3〜4年の記録を詳細に見返したりしつつ、なんとか力を合わせてワインを作りました。その結果、数年後にはワイナリー協会のメンバーにも「娘さんのワインの方が美味しい」って褒めてもらえて、父はへこんでましたが(笑)初めてだったので目を光らせて必死に発酵管理を行い、IT業界で身に付けた論理的思考と火事場の体力と度胸を活かして、大きなムラを出さずクリーンな味に揃えられたからだと思います。

 

 

Q.今はどのような役割を担われているんですか?

A.ワイン醸造はわたしがメインで行っています。他にも、ワインを売りに行ったり、企画書を書いたり、農業関連の委員をやらせてもらったり、請求書を作ったり、人材募集の原稿を書いたりとなんでもします。

 

100周年を迎えた2014年から「カタシモワイン祭り」を開催してるんですけど、それもスタッフみんなで知恵を出し合って始めました。父親が「100周年、何しよう。ホテルでイベントとかかな?」って言い出したので、来てくれた人も私たちももっと楽しめる催しにできないかと考えて。1年目から3000人以上の方が来場してくれて、毎年恒例の人気イベントになりました。沿線も盛り上がるみたいで、今では近鉄さんの「駅長お薦めフリーハイキング」という企画ともコラボさせてもらっています。

 

 

 

Q.親子関係や権限委譲の問題で悩むアトツギの方もいますが、高井さんはいつどうやって社長であるお父様から多くを任せられるようになったのですか?

A.何か言われたとか決めたとかではなく、気付いたら私が担当になっていた感じです(笑)家業にかかわりながら、少しずついろんなやり方を変えていったので。

 

父親は超ワンマン社長でした。でも、それだとスタッフが準備も計画も工夫も無駄と思ってしまう。朝、突然その日の仕事内容をガラッと変えられてしまうわけですから。だから、私は何かをするときに、「私はこう思うんだけど、どう思う?もっといいやり方はあるかな?」とスタッフに聞くようにしています。だって、ぶどう畑のことは私よりぶどう畑のスタッフの方が詳しいように、毎日その仕事をしているスタッフの方が、知識も多いしよく考えているでしょう。こうやって、あらゆる仕事の進め方をスタッフとと徐々に変えてきました。

 

家業に入った当初は父親とたくさん喧嘩しましたよ。でも、子どもを産み育てる立場になって、ある日思ったんです。父親との接し方って、子育てと似てるなと(笑)「この服イヤや」「これたべたくない」って言う子どもをどうその気にさせるかってことと同じなんです。そう思うと楽しくなって。こちらとしては最終目的を果たせればいいので、腹が立っているときもぐっとこらえて「悪いなあ、これできへんわ。お願いしてもいいかな?ごめんね!」とか、「よろしく!ありがとう!」って声を掛けて動いてもらってます。私が苦手なフォークリフトでの作業や朝の準備・段取りは父親がやってくれてますし、「元気でいる限りは、ずっと働いてもらうからな!」って、いつも言うてますよ(笑)アトツギの方って、必ず親とぶつかると思うんです。でも、自分が楽するためにも、プライドなんかは捨てて、親をうまく頼ることをおすすめします。

 

 

Q.これからチャレンジされたいことはありますか?

A.新商品を開発したいですね。ぶどうって、どの品種もほぼ同じ時期に入ってきて繁忙期も集中するので、少し時期をずらして作ることのできる商品は無いかなと考えています。

ワインにこだわらず、ぶどうを原料にした新しい商品ブランドを作れないかとも思ったり。海外展開できるような新商品を作りたいです。

 

あとは、地域の風景や文化を守っていきたいです。だから、古民家でカフェ&バーを開いたり、ぶどう畑のスペース貸しなども始めました。新たな活用法を見せることで、「古民家やぶどう畑を売らずに残そう」と思う方が増えるといいなぁと思うので。年を重ねると、自分のルーツを知りたくなって地元を再び訪れる人も多いんです。そのときに彼らが戸惑わないよう、この風景を守りたいなと思います。

 

 

Q.全国のアトツギの方にメッセージをいただけますか。

A.事業の一番コアの部分は最初に身に付けた方がいいですね。

たとえば、経理や採用はお金を掛ければアウトソーシングができます。でも、うちの場合の「醸造」のような、コア事業だけは人に任せられない。だから、醸造の技術はしっかり身に付けました。そういった、コアの部分をまず極める心掛けは必要かなと思います。

 

アトツギにとって一番しんどいことは、家業に入る段階ですでに会社が出来上がっていて、自分の能力に合わせた規模感から始められないことだと思うんです。だけど、「できなくて当然、できたらラッキー」くらいの気持ちで、まずはチャレンジしてみたらいいのではないでしょうか。

 

 

 

(文:倉本祐美加 /編集:川崎康史/ 写真:中山カナエ)


<会社情報>
カタシモワインフード株式会社
http://www.kashiwara-wine.com/
〒582-0017 大阪府柏原市太平寺2丁目9番14号


 

アトツギベンチャー編集部

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