2019.12.04
【インタビューvol.35】店舗移転、通販事業への注力など経営再建に奔走。「継ぎたい」と思ってもらえる会社をつくることこそアトツギの使命(すててこ株式会社/笹原博之氏)
「有名メーカーの下着・靴下・ストッキングなどをネットで手軽に買える」と人気なのが、インナー通販の「すててこねっと」だ。 楽天やYahoo!など主要ショッピングサイトにも出店しており、売上は順調に推移している。
「すててこネット」を運営するすててこ株式会社は、元々は衣料品店からスタートし、ショッピングセンター内のテナントなどで婦人服を販売していた。すててこ株式会社の変革を牽引したのは、三代目の笹原博之氏。自転車操業で経営が苦しい中、呼び戻されて家業に入った笹原氏は、路面店への移転やインナー通販への業態転換などさまざまな改革を実行し、右肩上がりの業績を実現した。
Q. 子どもの頃から家業を意識していましたか?
A. 両親が家業に忙しかったため、小さい頃は祖父母によく面倒を見てもらっていたのですが、祖父から「お前は長男だから、うちの三代目だ。徳川幕府も室町幕府も三代目が大きくした。三代目は大事だぞ」と言われていて。
そんな環境で育ったので、自分がアトツギなんだと意識していました。そのため、大学の経済学部で学んで、大阪・心斎橋のアパレル会社に店長候補として入社したんです。「30歳くらいまで修行をして実家に戻ろう」と思っていたんですが、働き始めて1年が経つ頃、父から電話があって「会社の経営が厳しいから戻って来てくれ」と言われたんです。
大阪での仕事や生活は楽しかったので、実家に戻っても都会での生活に後ろ髪を引かれたままでした。まだ実家を継ぐ心構えができていなかったんですよね。それで、24歳の5月に置き手紙を残して家出をしたんです(笑)。
向かった先は、沖縄の万座ビーチホテル。ビーチスタッフとして住み込みで働きました。5か月ほど働いたのですが、その中で旅をしているノマド的な人との出会いも多く、「海外いいよ」と勧められて、さらに2ヶ月東南アジアを放浪することにして。
その旅の中で、物乞いする子どもや自分が生きるために相手を騙す人の姿などを目にしたんです。貧困社会を目の前にすると、「俺は豊かな日本で生きているにもかかわらず、家を継ぐとか継がないとか、小さなことで何を悩んでいるんだ」と思えてきて。
それで、やっと腹が括れて、24歳の11月に実家に戻って本格的に家業を手伝い始めました。
Q. 家業に戻られて、どんな課題に直面しましたか?
A. もともと3店舗あった店舗は1店舗に縮小しており、経常利益はマイナス1000万円。破綻寸前で、景気の良かったバブル時代の預貯金を食いつぶしながら、自転車操業をしていました。
家出の末に腹を括れたことで、「俺が会社を大きくするぞ」と意気揚々と会社に入ったけれど、驚いたことに業績がものすごく悪くて。
「これではダメだ、まずは売り上げを上げるか、経費を下げるかのどちらかをしなければ」と思い、外注していたチラシ作りを内製化することに。
とはいえ、デザインができる人はいないので、他のお店のチラシを参考にしながら自分で作りました。そのうち、チラシの“あとがき”コーナーをお客様が読んでくれるようになって、「息子さんのあとがきが面白いから、チラシが楽しみだよ」と言ってもらえたのは嬉しかったです。
しかし、広告宣伝費を節約してもまったく黒字にならない。その原因は、当時唯一の店舗がショッピングセンターのテナントに入っていたためでした。共益費が月100万円近く掛かるので、どんなに売り上げても利益が出なくて。そこで、「ここを出て別の場所に店を構えよう」と決めたんです。
うちは、ショッピングセンターのディベロッパー側として資金を出していた関係もあり、出る際にはいろいろと揉めたりもしたのですが、なんとか契約解除ができて2001年に別の場所で店をオープンしました。
Q. 場所を変えてお店をオープンしてから、業績はどうでしたか?
A. ありがたいことにお客様が付いてきてくれて、ショッピングセンターのときと同じ売り上げが維持できました。地元のおばちゃんたちは、母の品揃えが好きで、うちの店のファンになってくれていたからです。
順調だった中、2008年に私が「店を改装して、街の洋服屋からおしゃれなセレクトストアに変えよう」と提案したんですが、この改装が大失敗で。。ハイブランドの商品を置くことで客単価が上がるだろうという狙いと、今後の世代交代を考えると私の妻世代のお客様も付けていかなければというつもりだったんです。でも、今までのお客様は、「ささはらだと手頃な価格で、自分たちの嗜好にあった商品が買える」と思って来店してくれていたので、その方たちが離れてしまって。
一方で、「いい服は、こんな田舎で買わずに市街地の百貨店で買う」と言われてしまい、新たなお客様も付きませんでした。完全に私の戦略ミスで、売り上げが3割減ってしまいました。
けれど、この3割減をカバーしてくれたのが、ほそぼそ続けていたネットショップでした。
なけなしのお金でwindows98を買い、遊びでホームページを作ってみて、ふと「ここに買い物かごを付けたらお店になるんじゃないか」と思い、カート機能を自分で付けて作りました。始めたのは2000年なので、まだインターネットで買い物をする習慣がなかった時代。けれど、すぐに注文が入ったので、運営を続けていたんです。
Q. ネットショップ事業は当時まだ珍しかったと思います。お父様には理解していただけたのですか?
A. ネットショップ運営にまつわる作業は、主に店を閉めた後から夜中2時くらいまで行っていたのですが、営業時間中も店舗にお客様がいないときはバックストックで作業をしていたんです。その姿が、父にはサボっているように見えていたみたいで「店に出ろ」と怒られていました。
2005年に、「これからはネットショップの時代だ!勝負に出よう」と決めて、楽天やYahoo!にも出店することに。当時私は専務だったのですが、自分の貯金をはたいてスタッフも2人雇いました。
売り上げが上がるにつれて、父も理解してくれるようになりましたが、どうしても方針の違いでぶつかることはあって。私は店舗からネットショップ中心に変えたかったので、2011年に「社長を私に譲ってほしい」と申し出ました。すると、父は「じゃあ、やってみろ」とだけ言って、それからは会社に来なくなりましたね。
ネットショップ中心にしたいとは言いつつ、店舗も7000万円ほどの売上があったので、ゼロになるのが怖くて閉店を決断できずにいました。そのタイミングで、福井の上場企業の社長が主催する勉強会に参加し、「経営戦略は選択と集中だ」と説くランチェスター戦略に出会ったんです。衝撃を受け、意を決して店舗を閉めたところ、不思議と翌年には通販の売り上げが7000万円上がりました。
Q. 今後の目標を教えてください。
A. お客様や従業員など、会社にかかわる人を笑顔にできる会社をつくること、ですね。
これまで家族の時間も犠牲にしながら仕事に没頭してきたのですが、今年の2月に妻を亡くしたときに、これまでを振り返ってみて、笑顔を失くしてしまっていたなと反省しました。従業員がうちで働くことで成長できるような、世の中を笑顔にする会社にしたいと思います。
Q. 全国のアトツギの方にメッセージをいただけますか。
A. 経営戦略について学ぶ中で、「会社は社会のためにある。一族のためにではなく、社会のインフラとしてあるべき」といった言葉に出会いました。
社会のためになることをして、しっかり稼いでしっかり税を納めることが経営者の義務です。経営状態が悪ければ、誰も継ごうとしないでしょう。
また、福井県あわら市の商工会青年部にもかかわる中で、「企業が元気であり、たくさん雇用をすることができれば、若い人もこの街で働きたくなるはず。本業をしっかり黒字化させることが街づくりの第一歩だ」との思いも持つようになりました。
アトツギになる以上は、しっかりと利益が出るビジネスモデルを作って、社会を豊かにし、子どもに「継ぎたい」と思ってもらえる会社をつくる責任があると思います。
私は、事業承継にあたって、経営のノウハウ部分は親からはほぼ何も引き継ぎを受けていません。取引先も自分で開拓しました。だからこそ、経営をする上での力が身に付いたようにも思います。また、銀行の追加融資や借り換えも自分で交渉してみて、その大変さを知りました。資金繰りを自分でできて初めて、一人前の経営者と呼べるのではないかと思っています。
(文:倉本祐美加 / 編集:川崎康史 / 写真:中山カナエ)
<会社情報>
すててこ株式会社
https://suteteko.jp/
〒919-0632 福井県あわら市春宮2丁目4-22
アトツギベンチャー編集部
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