2017.12.06

【インタビューvol.7】原動力は鯖江愛。地域と家業はやり方次第で面白くなる!(西村プレシジョン株式会社/西村 昭宏氏)

薄さたった2mmの老眼鏡「ペーパーグラス」を製造・販売する株式会社西村プレシジョン。代表取締役の西村氏の祖父が創業した西村金属は、眼鏡の産地である鯖江市で約50年チタン加工を行う町工場だ。

 

西村氏の兄が先に入社しており、自分もいつか役に立ちたいという気持ちからIT関連企業に就職するが、1年後の2003年に家業は経営危機に直面。鯖江に戻り、営業担当としてこれまでの経験を活かして会社の建て直しを図った。

 

当時は、中小製造業は自社の技術や装置を公表するなどもってのほかとされていたが、ホームページでチタン加工の技術を公開し、眼鏡業界以外の顧客開拓に挑戦。

医療関係、半導体、航空機など、日本全国の業種・業界を問わず取引先を拡大する。鯖江にあるチタン加工技術をもつ会社と共同受注を受ける地域ブランド「チタンクリエイター福井」を立ち上げるなど、地域活性にも尽力している。

 

一方で、自社ブランドの必要性を感じ「ペーパーグラス」のブランディングと製造・販売に注力するため、西村プレシジョンの代表取締役に就任。

2013年にグッドデザイン賞を受賞し、内閣府のクールジャパン戦略、ミラノファッションウィークにも選ばれて参加。地元福井、そして日本に愛される世界一の老眼鏡ブランドをめざし、海外へ展開を広げている。

 

 

Q 子どもの頃の家業の印象と家業に戻られた時の気持ちを教えてください。

 

A 子どもの頃は家の隣にある父の工場が遊び場でしたね。私は次男で会社を継ぐ予定はなかったですが、いつか手伝いたいという気持ちが自然にありました。

 

高校時代に父の勧めで中国に交換留学へ行ったのですが、文化の違いがすごくおもしろくて。それから、世界を見たいという気持ちや将来のグローバル化を考えて大学は国際科を選び、1年間世界中を放浪しました。

その頃、父は私に中国へネジの輸出をする貿易会社をしてほしいと思っていたみたいで、西村プレシジョンを設立していて。今思えば、すべて父が仕組んだ私が戻ってくるための作戦だったのでは?と思います(笑)

卒業後はいずれ役立つだろうとIT関連企業に就職しました。ですが、鯖江の眼鏡産業が中国に押されて1000社から500社に半減するほど厳しくなって。それまで家業を継いでくれとは一度も言われたことはありませんでしたが、就職して1年もたたないうちに父から「来年は会社がないかもしれない。帰ってきて家業を手伝ってほしい」と言われ、戻ろうと決意しました。

 

帰ってすぐ、「このまま同じことをしていてもダメだ」と改革に乗り出し始めました。ただ、眼鏡業界の中で開拓しても、歴史的に見て縮小するのは明らか。それなら思い切って切り替えようと。眼鏡業界で培われたチタン切削加工の技術は、ほかにも活かせるはずと、まずは手始めに自社の発信のためのホームページを作ることにしました。

 

 

Q ホームページで情報公開をすることについて周りの反応はどうでしたか?

 

A 当時はBtoCの物販ですらネット上での販売に不安があった時代。父はBtoBの仕事はネットで成立するはずがないと思い込んでいる状態で。何ができるのかを載せたら、技術を盗まれると思ってたんです。

でも、私は見るだけで盗まれるものはノウハウじゃないと思っていたので、押し切りました。

 

逆に、特定の技術を持っている会社を探している立場で考えたら、情報が表に出てなければ何が頼めるのかわからないじゃないですか。自分たちが何を持っていて、何ができるのか、情報発信することがすごく大事だと説得しました。父とは何回もケンカになりましたが、兄が理解してくれたので、ふたりで協力してすすめることができたのもよかったと思います。

 

そうやっているうちに、ホームページを作って半年くらいで問合せが少しずつ増えて、5年で売上げが2.5倍に戻り、眼鏡以外の売上げが8割を占めるようになりました。業界からは眼鏡以外の仕事をすることに反発もありましたが、気にせずやってこられたのは、父が守ってくれていたんだと思います。

 

Q 眼鏡業界以外との取引が発展し、地域ブランド「チタンクリエイター福井」として共同受注を受けるようになったプロセスを教えてください。

 

A 医療分野や半導体、航空機とあらゆる業界から問合せがあり、そこからニーズを掴み、それに合わせた情報発信へと変えていきました。自分たちが情報発信することで進む道が見えてきたんです。

 

5年くらいすると、鯖江でほかの加工をしている人から「実は自分たちも眼鏡以外の仕事もやりたい」という人がでてきて。ちょうどリーマンショックで、一社でやる限界を感じていた時期でした。

うちは切削ですが、チタンの曲げ、アートメッキなど異なる技術をもった数社へ情報発信やブランディングの仕方を教えました。そして、みんなで一緒に仕事を取っていこうと「チタンクリエイター福井」を立ち上げて、スケールメリットを活かした共同受注を受けるようになったんです。

 

Q 自社ブランドである「ペーパーグラス」を作られたきっかけや今後の目標や展望を教えてください。

A  リーマンショックでうちもその煽りを受け、結局製造業が下請けだけでやっていくことは危ういんやなと実感して。会社を継続的に安定化して発展させていくには、下請けの仕事だけじゃなく、自社ブランドが必要だと思いました。

 

世間で結果を出している企業のビジネスモデルは、自らブランドを作って、自分たちで売っている。いわゆる製造小売りだったんです。そこで、2012年に兄が西村金属を、私が西村プレシジョンの代表取締役に就任し、新しい事業として自社ブランドの老眼鏡「ペーパーグラス」を製造販売することにしました。

 

 

鯖江の人って、地元が大好きな人が多くて。私も大学進学で鯖江を出ましたが、当然戻ってくるつもりだったし、今もこの街が良くなるといいなと思っていて。
だから、常にめざしているのは地場産業の活性化に貢献すること。もしくはその一翼になりたい。こうした自社製品を自分で販売する取り組みが、同じように地域に広がって鯖江の眼鏡産業の活性化につながってほしい。だからまず事業をどんどん広げていくことが大事だと思っています。

 

Q 後を継ごうか迷っているアトツギへメッセージをお願いします。

A やり方次第でこんなにおもしろいことはないし、こんなにやりがいのあることはありません。後を継ぐからといって、親と同じ事をしなくてもいいんです。

 

継ぐときには何か新しい取り組みをやることが大切です。

 

ただ、どういう風に変えていかないといけないのか、わからないだけなんじゃないかな。でも、そのヒントはその業界の中にはないんですよ。もっとアンテナをほかの所へ向けてほしいですね。

それに、違う業界でも同じように「新しいことをしたい」と考えて動いている人は自然に集まります。仲間がいると心強いし、頑張れる。ですから、同じような志を持つ仲間に出会い、何かを形にしていくためにも、小さくてもいいから早く行動を起こした方がいいと思います。

 

 



【会社情報】
株式会社西村プレシジョン
〒916-0019 福井県鯖江市丸山町3丁目5−18
「ペーパーグラス」公式サイト:https://www.paperglass.jp


 

<取材後記>

西村社長は「自社が成長していくことで、地域を活性化していける」という言葉が印象的でした。

わたしの実家は地方の田舎町。近所の商店がどんどんシャッターを下ろしたままになって、街には人が歩いていない。そんな状況を見ていて、家業を継ぐかどうか以前に、この街に戻るのはリスクが大きいなぁと憂鬱な気持ちで今まで過ごしてきました。だんだん元気のなくなっていく地元を見るたびに寂しい気分にもなります。

 

会社の廃業は単に世の中についていけなくなった会社がなくなるというだけでなく、その街の元気がなくなっていくということ。

地方創生と叫ばれて久しいですが、若いアトツギが家業を継ぎ、自分らしく事業に奮闘する姿自体が街に希望を与えてくれる、何よりの地方創生になるのではと思いました。

「継ぐのか?」をいつまでも迷ってはいられないこともわかっていながら、心が決まらない人は多いと思いますし、私自身もそういった状況ですが、いきなり身を投じることは難しくても、小さく、そして少しでも早く何か取り掛かってみると、何か見えてくるのかもしれないなと感じる取材でした。

 

(取材・写真:中山カナエ/文:三枝ゆり)

ナカヤマ(中山 佳奈江)

ナカヤマ(中山 佳奈江)

1986年生れ。家業はド田舎&山奥で食器と仏壇の小売業。ギリギリU34なメンバー最年長であり唯一の昭和生まれ。前職の出張が多い生活が高じて鉄道路線図や地図とにらめっこするのが趣味。誰かへおすすめできる場所や物を中心とした旅行やお出かけに関する記事の執筆・写真提供の活動をしている。好きな食べ物はアジフライとみそ汁。昭和っぽい雰囲気が漂う喫茶店、赤ちょうちんの居酒屋の佇まいになぜホッとしてしまいがち。

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