2017.12.27
【インタビューvol.10】100年続く靴卸問屋の四代目、始めたのは神戸元町発レザーブランド(スタジオ・キイチ/片山 喜市郎 氏)
神戸元町商店街で創業100年を迎える靴屋「有限会社マルヤ靴店」の4代目・片山喜市郎氏。
大学卒業後に就職した会社でバイヤーの経験を3年間積み、両親が営む家業を手伝っていた叔母が亡くなったことをきっかけに実家へ戻る。
その後、革製品職人の修行を経て2010年に「STUDIO Kiichi(スタジオ・キイチ)」を開業し、自ら企画・デザイン・製造・販売を行って立ち上げたレザーブランドが「Kiichi」だ。
良質な播州なめし革を使用したシンプルなデザインや、豊富なカラーバリエーションが人気を呼んでいる。
革製品の製造販売だけでなく、神戸開港150周年を記念して誕生したチェック柄「神戸タータン」の立ち上げにも尽力。いまではさまざまな商品に使用される神戸の新たなシンボルとなっている。
また、ANA主催のクラウドファンディング「WonderFLY」に参加し、兵庫県産の革を使って地下足袋風のシューズをつくるなど、おもしろいと思ったことには積極的に挑戦。長きにわたって家業を続けてきた地元・神戸を愛し、「三方よし」の商売をめざす。
Q 家業を継ぐことを意識したのはいつからですか?
A 大学3年生くらいかな。一人っ子なんで、「あいつが継がなかったから潰れた」と言われるのはイヤだと思って。
自分に腕がなくて潰れるのはいいけれど、挑戦しないまま家業を終わらせたくなかった。とにかく継ごうと決心し、「どこで働いたら勉強できるのか」と考えて就職活動を開始しました。
創業10年以内の若い会社で、フランチャイズで小売業を全国展開しているおもしろそうな会社に焦点を当て、大手自動車会社のカー用品を扱うマーケティング・卸売会社に入ったんです。希望通りバイヤーをさせてもらい、フロアマットやドリンクホルダー、サンシェードといった低単価商品を担当。主力製品じゃなかったこともありアイデアを出せば商品化してもらいやすかったのがよかった。おかげでいろんな商品開発に携わりました。
また、仕入れや販売だけでなく、販促活動やスーパーバイザーの仕事など、いろんな経験をさせてもらっていました。
入社して2年半が経ち、仕事も充実してきて「これからもっと活躍するぞ!」と思っていた矢先、経理をはじめ家業を切り盛りしてくれていた叔母が亡くなって。頼りになる人だったので、親父が滅入ってしまってはまずいと思いました。本当はもう少し勉強したかったんですが、3年で退社して家に戻りました。
Q 家業に戻られてはいますが、ご自身で独立して革製品の小売店を始めたのはなぜですか?
A 家業の手伝いはしたんですが、ものすごくヒマで(笑)商店街に空き店舗が増えていくことにも危機感を抱いていました。
社交ダンスシューズの製作や学校靴の販売は一定の需要があって、安定して発注が来る商売で。ただ、店には頻繁にお客さんが来る感じでもなく、当然時間ができるので、クラフト系の作家さんを呼んで商店街でマーケットを開いたり。もう勝手にやってましたね(笑)。でも周辺の店主も「商店街に集客できるんやったら」と文句も言われなかった。
商店街に店舗を誘致するために、活性化イベントとか、いろいろやりましたけど、一時的には盛り上がるんですが、なかなか空き店舗は埋まらない。「それなら自分が前例になろう」と商売を始めたんです。まずは家業を手伝いながら、靴の学校や知り合いのカバン職人さんのところへ通って革製品づくりを教わりました。
革鞄づくりを学びつつ、並行して店を開店。ミシンを置いて商品をつくりながら、店先にコインケースやブックカバーといった簡単な商品を並べていたら、お客さんが結構来てくれたんです。作っている姿が見えていたからなのか、「こういう素材の商品がほしい、こういう用途の物はないか?」など、たくさん要望を言ってくれる。その意見を元に次々と新しい商品を作っていきました。
引き続き、商店街のイベントも好きにやっていましたが、商店街の理事長だった親父は何一つ言わなかったですね。しばらくしたら、「元町商店街がおもしろい」と話題になっていったんです。
Q 会社員として安定を選ぶという考えはなかったのですか?
A 商売してあかんかったら、どこかに勤めたらいいじゃないですか(笑)。
売上げが下がっているところは、ずっと同じことをしている。その一方で、2代目が入って商品企画を行い、新しい設備を入れたら売上げが伸びたところもあります。新商品をつくっても、ウケなかったら引っ込めるくらいの気持ちでトライしないといけないと学びました。
僕は昔から「どうしたらお金が稼げるのか?」を考えるのが好きで、中学生のころから、「レアなグッズやおもちゃが人気で入手困難だ」とききつけては、長時間並んででも手に入れて、転売するバイヤーみたいなことをしていましたから(笑)。
大学生のときは古物商許可をとって神戸市が行う放置自転車やバイク購入の入札にまで参加。落札は無理だったので、落札した業者に掛け合って自転車を何台か分けてもらい、修理して売っていました。小さなころから靴屋で店番をしてましたし、商売の感覚が自然に染みついたんだと思います。
Q Kiichiのブランドづくりに、家業があったからこそ良かったことはありますか?
A 革靴の卸しや製造をしていたころの家業の取引先との関係を活かして、素材の仕入れがスムーズにできたことはメリットでした。
それに、100年続いてきた歴史は、お金では手に入らないすごいブランド力ですよね。
家業が長く続いてきた理由って必ずあると思っていて、うちの場合だと誠実な商売をしてきたことだと思うんです。お客さんにも、取引先にも、信頼されてたから新しい仕事が来るということを何度も見てきました。
僕は、「知り合った人達と最高なことができないか」と考えた時に、「試しにやってみる」のが好きなんです。
実は、新しいバッグブランドを「STUDIO Kiichi」の斜め前にオープンするんですが、そこでは素材屋から提示される適正な値段の革を使い、さらに職人が自分の加工技術に見合った値段がつけられる製品を実現したいと思っています。
職人を育て増やすために、充分な工賃が確保できる商品の販売を成り立たせるのが僕達の仕事。「誰かだけが稼ぐのではなく、関わる人みんなが潤う商売がしたい」と、僕が言い続けてきたことに共感してくれる人達とのいい関係性が築けています。
家業のマルヤ靴店にも本格的にかかわろうと思っていて、今リニュアル中なんです。マルヤ靴店、STUDIO KIICHI、これから立ち上げる鞄ブランド……それぞれのオリジナル商品をどんどん生み出していきたい。地域に根ざして真面目に商売をしてきた家業を引き継ぎ、そして僕だからこそできるやり方で、日本のすばらしいものづくりを神戸からどんどん発信していきたいと思っています。
【会社情報】
STUDIO Kiichi(スタジオキイチ)/株式会社喜市
〒650-0022 兵庫県神戸市中央区元町通6丁目7−3
STUDIO Kiichi公式サイト:http://studiokiichi.com
<取材後記>
「商売してあかんかったらどこかに勤めたらいいじゃないですか」
という言葉が印象的でした。
当たり前なことなんですが、なぜかそう考えられないアトツギがたくさんいる気がします。私もその一人でした。
本来、そう考えるのが自然だけれど、ダメだったらどうしよう、と不安が先行して一歩踏み出せないまま、なんとなく時間が過ぎてしまうことがあります。
「潰したらどうしよう」とか「うまくいかなかったらどうしよう」「そもそも自分で仕事をして行くなんてできるのか?」ということは、やってみなければわからないし、とにかく自分のできることから小さく始めていくのが大切かな、と思いました。
また、一人でどうにかしなくてはいけないというルールもありません。
一緒に仕事をしたい人を自分で選んで仕事ができるというのは、会社員をしていてはなかなかできない経験ではないでしょうか。
誰かに助けてもらいながら、自分ができることで貢献する。
大変なこと、苦しいことはたくさんあると思いますが、挑戦してみた先に面白い世界がある気がしました。
(取材・写真:中山カナエ/文:花谷知子)
ナカヤマ(中山 佳奈江)
1986年生れ。家業はド田舎&山奥で食器と仏壇の小売業。ギリギリU34なメンバー最年長であり唯一の昭和生まれ。前職の出張が多い生活が高じて鉄道路線図や地図とにらめっこするのが趣味。誰かへおすすめできる場所や物を中心とした旅行やお出かけに関する記事の執筆・写真提供の活動をしている。好きな食べ物はアジフライとみそ汁。昭和っぽい雰囲気が漂う喫茶店、赤ちょうちんの居酒屋の佇まいになぜホッとしてしまいがち。
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