2018.03.01
【インタビューVol.14】これからは、地方・衰退産業こそが面白い。和歌山の酒造を継いで見えてきたものとは?(平和酒造株式会社/山本 典正 氏)
和歌山県海南市。緑豊かな山々に抱かれた地で、代々酒造りを行う平和酒造の長男として生まれた山本氏。
子どものころから後継ぎを意識して育ち、大学卒業後は外の世界も見てみたいと東京の人材系ベンチャー企業に就職。予定より早い27歳のとき、父親の体調不良のため家業に戻り、旧態依然とした酒蔵の経営改革に乗り出す。1972年をピークに45年間右肩下がりを続け、生産量が3割まで落ち込んだ日本酒業界だったが、山本氏はそこに可能性と勝機を感じた。
2005年、ときはリキュールブーム。
若い杜氏、蔵人を募って挑んだ新しい酒造りが生みだす、紀州名産梅使用の「鶴梅」が大ヒット。その3年後に発売した「紀土(キッド)」も和歌山を代表する日本酒に育ち、大きく売り上げを伸ばす。また、全国の酒蔵を集めた試飲会イベントを東京で主催するなど、日本酒の魅力を国内外に向けて積極的に発信している。
(1枚目写真提供:平和酒造株式会社)
Q いつ頃から家業を継ごうと思われていたのですか。
A 酒蔵を継ぐことは、中学・高校時代には決めていました。というのは、両親が楽しそうに商売をしていたからなんです。
うちは、もともとお寺だったんですが、曾祖父のときに酒蔵をはじめました。戦争で酒造りが中断されていたんですが、再開できたときに平和を祈って平和酒造と名付けます。そこからは大手酒蔵の下請けをし、父の時代は大量生産・大量消費型のものづくりに合わせて、紙パックの日本酒や梅酒で業績を伸ばしました。
酒造りって、「お客様に喜んでいただけて、自分も幸せになれる」。
そんな良い循環をまわしていける商売はおもしろそうだなと、子どもながらに思ったんですね。高校の授業でベンチャーという言葉を知り、当時の起業ブームで躍進する起業家たちにも憧れ、「僕もベンチャー企業を起こしたい」という気持ちをもって京都大学経済学部へ進学しました。
大学卒業後は、東京の人材系ベンチャー企業に2年間勤務。「0を1にするからかっこいい、すでにある資産を使う家業では自分の力が発揮できない」と思っていた20代の僕に起業のチャンスはなく、もやもやしていたときに、父が体調を崩したんです。「自分には0を1にする自信はないけれど、1から10にすることはできるんじゃないか」と思い直して、実家の酒蔵に戻りました。
Q 家業に戻って経営改革に着手されますが、苦労はありましたか。
A 経営に関われるとワクワクして帰ってきたんですが、東京のベンチャー企業と酒蔵のビジネス形態にギャップがありすぎて。
酒蔵の古い経営を変えなくてはという僕の思いは、周りになかなか伝わりませんでした。
酒蔵の仕事は肉体労働で、朝が早くて、休みが少ない。地元の就職希望先のなかではかなり下位に位置し、人気がありませんでした。実際、ネガティブな気持ちで働いている人が多かったんです。
でも、元々人材系の会社に勤めていた僕は、結構おもしろいと感じてたんで、大学新卒・大学院新卒者を対象に、就職活動サイトで全国的に求人募集したら、1〜2名の採用枠に最大2000名の応募があったんです。
優秀な人材が平和酒造に来てくれるようになり、入社時には一緒に日本酒業界を変えていこうと熱く握手をかわすんですが、そういう人たちが半年や1年で辞めていくんですね。「日本酒は二度と飲みたくない」とまで言われました。原因のひとつは、酒造りの花形である麹室の作業をいつまでも見せてもらえないこと。そこには、技術は盗むものだという職人の世界や、長年培ってきた技術を新人に簡単に教えたくないという本音がありました。
Q 伝統産業・職人の世界に、ベンチャーのやり方をもち込むことに挑戦されたとか。
A 現在は、技術マニュアルや杜氏しか知らなかった酒造りの情報を、全社員で共有しています。
うちでは、酒造りのデータや技術を新入社員にも公開共有するんです。
確かに、経験に大きく裏打ちされる技術はデータでは教えることができませんが、酒造りの核の部分をマニュアル化することで、技術を継承することができるようになり、柔軟に対応できるようになります。マニュアルづくりは新人を巻きこみ、初心者にとってわかりづらいところを拾い出しました。
例えば入社1年目は、床をふく、米を運ぶ、道具やタンクを洗うといった仕事に終始しますが、そればかりだと酒造りをしている実感が湧きづらく、「日本酒が作りたくて入社したのに、何でこんなことをしているのだろう」と疑問が浮かびますよね。でも、データを共有して技術を教わっていると、杜氏が「急いで米を運べ!」と言っている意味がわかり、米を運ぶことが苦役でなくなります。
また、社員には製造の現場だけでなく、試飲会イベントにも出てもらうようにしています。なぜなら、東京や大阪でお酒をふるまい、お客様からおいしいと直接言っていただくことがやりがいになり、その声を酒造りに活かすこともできるから。優秀な人材を増やすだけでなく、酒蔵の仕事を現代的な働き方に変えることも自分の仕事だと思っています。
Q 山本さんが考える酒造りの未来について教えてください。
A 酒造りはスピードのゆっくりしたビジネス。僕たちは100年先のブランドづくりを見据えて歩んでいます。
自分たちのものづくりや日本酒の価値観は、世界で十分通用すると考えています。そして、チャレンジスピリッツやベンチャースピリッツをもった酒蔵でありたい。小さくても社会的に価値のある行動で、世の中におもしろいことを提供できたらいいなと思っています。
地方を背負えるのも日本酒のいいところで、和歌山県代表として全国各地の和歌山ゆかりの人々に応援してもらえるだけでなく、地元にも貢献できるという良い循環を生み出します。
いまは単純に起業するよりも、家業があること、特に地方のほうがおもしろいことができると思いますね。東京には売上げ10億円規模のスタートアップ企業はたくさんありますが、地方で売上げ10億円だと注目してもらえる。僕はときどき東京で行われる著名人の会食に呼んでいただくんですが、それは、和歌山の小さな酒蔵でおもしろいことをしてるから。地方だから目立つんです。だから「話が聞きたい」と声をかけてもらえるんです。
Q 最後に、家業を継ぐか迷っている人にメッセージをお願いします。
A 僕は東京で働いていたときよりも、家業に携わってとても幸せに働いています。
家業は、その人にとって育ってきた環境でもあるので、人生観と仕事感がリンクしやすい。うまくフィットすれば、仕事が人生そのものになっていきます。だから、「家業という選択肢があることは幸せなのでは」と思うんです。
たとえ衰退産業であっても、自分らしく新しい息吹を与えることで自分の会社を生まれ変わらせることができ、さらにはその産業をひっぱる役割を担えるかもしれません。
僕が好きな言葉は「代々当代」。家業だからといって従来のやり方を継承するのではなく、その代の人が自分の人間性を大切にし、自分の考え方に合った会社に変えていけばいいと思っています。
<会社情報>
平和酒造株式会社
〒640-1172 和歌山県海南市溝ノ口119
http://www.heiwashuzou.co.jp/
<取材後記>
「地方にこそ、衰退産業にこそチャンスがあると思う」と平和酒造の山本さんの言葉にハッとさせられました。
実は私の実家がある地域も山間で人口はどんどん減っていて、家業も小売業というこれから将来性のない事業体。そのまま継ぐと苦労するよな……と優鬱な気分でいたのですが、ダメになっている市場だからこそ、ブルーオーシャンだと言えるのか、と。
帰り際、和歌山駅で平和酒造さんが今挑戦しているというクラフトビールが販売されていて、思わず購入してしまいました。
若い人が思わず手に取りたくなるようなポップなデザイン。
商圏や顧客を小さな地域や既存の顧客層だけを対象とせず、日本全国の老若男女、さらには世界を見つめて仕事されていることが伝わってくる商品でした。
苦しい現状に悲観することなく、自分の代で、自分の考え方に合った形へと変化させて行くことがとても重要だと感じさせられるインタビューでした。
(取材・写真:中山カナエ/文:花谷知子)
ナカヤマ(中山 佳奈江)
1986年生れ。家業はド田舎&山奥で食器と仏壇の小売業。ギリギリU34なメンバー最年長であり唯一の昭和生まれ。前職の出張が多い生活が高じて鉄道路線図や地図とにらめっこするのが趣味。誰かへおすすめできる場所や物を中心とした旅行やお出かけに関する記事の執筆・写真提供の活動をしている。好きな食べ物はアジフライとみそ汁。昭和っぽい雰囲気が漂う喫茶店、赤ちょうちんの居酒屋の佇まいになぜホッとしてしまいがち。
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