2021.02.22

【インタビュー Vol.45】「任せて」と言える分野を作り渦中の栗を拾いにいけ!素材の多角化でパソコンやカメラの軽量化に貢献し、舞台は大阪から世界へ(株式会社STG 佐藤 輝明氏)

大阪府八尾市には優れた技術で日本のものづくりを支えてきた企業が数多く存在する。その一つが株式会社STGだ。

 

1975年の設立以来アルミニウム加工を手掛け、1996年からはアルミよりも軽く、耐久性もあるマグネシウム合金の生産を第二創業としてスタート。近年の製造現場に求められる「軽さ」「薄さ」のニーズに対応した部品成型を行うことで、SONY「VAIO」1号機の製造、マグネシウムダイカストによる世界初のLEDヒートシンクに携わるなど、世界に誇る固有技術を用いてパソコンやカメラ、携帯電話などの小型軽量化に貢献してきた。

 

佐藤輝明氏はSTGの2代目代表取締役。もともと家業を継ぐつもりはなく、大学卒業後は商事会社に勤めていたが、主力の製品が海外とのし烈な価格競争に巻き込まれ、経営が苦しくなっていることを知り、危機を救う決心を固めて家業へと戻った。

 

ものづくりに実直な父と経営の手腕に長けた息子で役割分担を明確化し、得意分野で力を発揮してきた佐藤氏。家業のピンチを切り抜けた方法、新たな挑戦や苦労、会社経営において大切な考え方などを聞いた。

 

自分らしさの「挑戦すること」を忘れていた危機感。経営のピンチで目が覚め家業へ

 

Q. 子どもの頃から家業を継ぐことは意識していましたか?なぜ家業を継ぐことになったのでしょうか?

A. 子どもの頃、工場のアルバイトはしましたが、あんまり好きになれなくて。全く継ぐつもりはありませんでしたね。

 

夜寝ているのに起こされ、「バリ取り」と呼ばれる仕上げ加工をさせられたりして。親に無理やりやらされてる感じで嫌々手伝ってましたね。だから家業には全く興味が持てなくて。大学卒業後、製造業と関係のない会社に入って貿易関係の仕事をしていました。

 

継ぐきっかけになったのは、まだサラリーマンをしていた1994年の冬だったと思います。ボーナスが出て気分上々で帰宅した時でした。「ただいま〜」と戻ったところ、両親がお金のことでけんかしてたんですよ。

 

当時VHSのビデオデッキ部品を作っていたんですが、円高不況の影響で業績不振でとにかく資金繰りが良くないという内容だったと思います。それを聞きながら「サラリーマンでよかった」って安堵した自分がいたんですよね。元々安定を好まない性格だったのに、「あれ?俺ってこんな安定志向の人間じゃなかったよな?」と、ふと気付いてしまって。5年もサラリーマンをしていたらいつの間にか安定の上であぐらをかいてて、めちゃくちゃ自己嫌悪に陥りました(笑)。

 

父には「戻ってくるのは辞めた方がええんちゃう?給料もそんなに出されへんで」と言われたんですが、「そんなに大変なら、助けるべきだろうな」という思いが半分、リスクをとってでも挑戦できる場所にまた身を置きたいという気持ちが半分で、ほとんど押しかけみたいな形で家業に入りました。

 

まあ、あの頃今のように経営知識があれば、間違いなく民事再生手続きしていた状態だったんですけどね。知らぬが仏です(笑)。

 

 

自分はファイナンス、父は物づくり。数々の困難な曲面を切り抜けグローバル展開へ

 

Q. 代表取締役に就任してから、どんなことに取り組みましたか?

A. まずはファイナンス面から。それと、「すごく忙しいのに儲かってない」という状態に疑問を持ち、その理由を明らかにするため、単価や作業人数と時間などを調べるところからスタートしました。

 

家業に入ったとき、会社の財務状況とか全く知らなかったタイミングで、いきなりメインバンクから融資打ち切りを告げられたんです。何が起こっているのか知りたい気持ちと、それを回避する策を打ち出すにはまずはファイナンスだと思い、お金のことを独学で必死に勉強しました。元々お金に興味もあったので、財務やファイナンスは自信を持って取り組めるようになりたくて。

 

それに加え、「忙しいのに儲かってない」という状態を調べることもしていたんですね。作業一個一個ストップウォッチで時間計ったりして。そうしたら原因も見え、不良返品を処理するために正社員の残業が常態化していたことがわかりました。収入が変わらないのに、残業代を支払わなくちゃいけない。つまり労務費がかかりすぎてることで、収入に対してキャッシュアウトが多い状態で。これがわかったことで、検査作業を外注。返品の検査業務などは変動費化し、労務費などを節約する戦略をとってまずは黒字にすることができたんです。とはいっても、毎月の借金返済には追われ続けていましたけどね(笑)。

 

こういう経験を通して学んだのは、経営者をやるなら、課題にぶつかったりお金には困った方がいいということですね。会社がいい状態のときに継いでも、実はあんまり学びがないんですよ。自身で考えて努力してハードルを乗り越えるとちゃんと実力につながると思うので、苦労するくらいが丁度いいと思います。

 

 

Q. かなり苦しい状況で引継ぎ、改革をされたようですが、次の手はどう打ってでたのでしょうか?

A. 毎月の返済が相当額あったので、その返済分だけの利益が出せる新事業を作らねばというのが課題でした。当初はネットでショッピングモールを立ち上げたり、パソコンスクールを運営したりしていたんです。家業とは関係ないことですが、今後伸びるコンテンツだと思って。軌道にも乗りかけていたんですよ。

 

でもその頃、大手メーカーから「全面マグネシウム合金でパソコンを作りたい」と持ち掛けられて。大手は最初マグネシウム合金の一次加工を行う静岡県内の会社に依頼したのですが、そこには二次加工能力がなかったので、元々取引のある当社に「できないか?」と話が来たんです。それまで主にやっていたアルミ加工には将来性が感じられなかったので、引き受けてみることにしました。

 

マグネシウムは、研磨するときに舞う粉塵がいわば火薬のようなもので良くない条件が揃うと爆発を起こすんです。実際に粉塵爆発を起こしてしまい、社員が大けがして入院したときには本当に申し訳ない気持ちと今後同じようなことが起きてしまうかもしれない恐怖に苛まれ、本気で「こんなことが起きてしまうくらいならいっそ会社自体ももう辞めようか」という話にもなって。

 

この課題に直面してしまったところ、助け舟を出してくれたのが父だったんです。燃えやすい粉体を集塵する湿式集塵式を開発し、社員の安全を確保できる機械を生み出してくれて。父はこの会社で独立する前は機械メーカーで開発に関わっていて、物を作ることに関しては長けていたんですよね。この湿式集塵式はその後特許を取って、海外にもかなり輸出するようにもなりました。父の湿式集塵式が突破口になって、マグネシウム事業は順調に進みました。

 

一方、パソコンの価格競争が激しくなるとともに、 2000年以降は海外進出せざるを得なくなり、2006年に中国、2011年にタイへと展開しています。

 

 

Q. その後の事業展開で転機となったことはありますか?上場もされていますよね。

A.  2019年の上場も会社にとって良い転機をもたらしてくれましたが、一番大きなタイミングは2009年に静岡工場を作ったことかもしれません。

 

その工場は自社で新たに建てた物ではなく、前身が先の話にも出てきた静岡県内の得意先で、リーマンショックの後、10億を超える負債を抱えて自己破産を申請していたのですが、ご縁があって「やってみないか」と声をかけていただいたんです。

 

当社の売り上げの2、3倍ある会社でしたが、いつか二次加工から一次加工を始めたいという思いがあり、買い取って引き受ける話で。大きな決断でしたが、父も背中を押してくれ、結局引き受けることにしたんです。これが契機となって一次加工に大きく舵を切ることができました。

 

とはいえ、当時の僕は民事再生の知識もなく、無我夢中に迷い考えて出した結論でしたが、結果として吉に転びましたね。マグネシウム合金の一次、二次加工を一貫して手掛けられるようになったことで大きく成長路線へと転換することができたんです。また買い取った会社にいた専務が残ってくれて、潰れそうだったタイ工場に行って、一昨年から黒字化してくれました。立ち上げは本当に大変だったのですが、彼のおかげで今ではタイ工場が一番利益を出しています。

 

マグネシウム合金は、カメラやパソコンの小型軽量化にずいぶん役立ってきました。現在はマグネシウムとプラスチックの一体成型でミラーレスカメラも手掛けています。今後は海外に別のいい素材が見つかれば、海外M&A戦略の候補にしたいですね。

 

 

「任せて」と言えるものを身に付け、渦中の栗を拾いにいく!

 

Q. 事業を継ぐことや経営において、佐藤さんが大切にされていることってありますか?ここが大事!というアドバイスがあれば是非お願いします。

A. まずは、「任せて」と人に言えるものを身につけること。私の場合はファイナンスでした。あと、継業においては「継ぐ側」だけでなく「継がせる側」の姿勢もかなり重要だと痛感しています。

 

うちの父は早々に会社から退いていて、今はもう役員ですらないんです。早い段階で代表権を譲ってくれた父は事業を継がせる側の姿勢として、理想だなと思っています。息子に譲るなら代表権もすべて与えて最初から裁量を持った状態で、本人がしっかりと責任を意識できる状態にして任せるべきで。でないと、継ぐ側の本気度や必死さを左右しますし、本気で取り組みたい事業に先代がいちいち口出しなんてしていたら全くうまくいきませんから。

 

私の父は、自分には経営能力がないと認めていて。私が家業に入った時にも、「まず現場を覚えろ」とかそういう偉そうな振る舞いもなく、僕のやることに一切文句を言わなかったんです。逆に父のものづくりに対するこだわりや、丁寧に仕事する姿勢は私が真似できない部分。父のスキルをマネタイズ(収益化)するのが僕の役割だと考えてやってこれたのが良かったと思っています。

 

また、強みと言える分野を作る点においては、僕の場合はファイナンスだから、いつも幹部に「お金のことは何とかする。だから生産と売りは頼んだ」と伝えています。それぞれが強い分野で責任を持って仕事をすることが強い信頼関係につながり、お互いの力を最大限に発揮できる環境につながっていると思います。

 

将来のビジョンを明確に持てば、行動が変わるはずです。そこそこの生活を送れたらいいのであれば、余計なリスクを負う必要もないですが、もし事業を飛躍させたいと思うなら、課題を自ら拾いにいくくらいの気概がある方がいい。それこそ、今の日本の製造業の現状やウィズ/アフターコロナを考えれば、そこそこをキープするのも難しい状況です。危機感を常に持ち、10年後など少し先の未来を見越した目標が立てられると良いかもしれませんね。

 

 

 

(文:幾野慶子、写真:中山カナエ)


<会社情報>
株式会社STG
https://www.stgroup.jp/
大阪府八尾市山賀町6-82-2


 

アトツギベンチャー編集部

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