2021.02.26

【インタビュー Vol.48】社長業は未来をつくる仕事。人を育てることを軸におき、家業の製造業を躍進させる!(錦城護謨株式会社 太田泰造氏)

昭和11年にゴム材料商社として創業し、高度経済成長期を経て、ゴム製品を製造・販売するものづくり企業へと変貌を遂げた大阪府八尾市に本社工場を構える錦城護謨株式会社。

 

大手弱電メーカーのゴム部品や、オリンピック選手着用のスイミングキャップの開発・生産だけでなく、地盤改良のための高い技術を持った土木部門もあり、国内空港の地盤工事など公共工事にも関わってきた。

 

現在では、既存の技術力を基盤に新たな取り組みへも踏み出しており、福祉分野への参画、そして、 ” KINJO “という会社の名前を冠した割れないロックグラスの新製品が好調だ。

 

「5年後、10年後はなにが必要か?を考えると、今何をすべきかが自然と見えてくるんですよね」、と語るのは3代目社長、太田泰造氏。アトツギとして、なぜ新しい事業に取り組むのか?その根底にある考え方について話を聞いた。

 

 

 

純粋に役に立ちたいという気持ちが後押しして家業へ入社

 

Q. 家業を継ごうという気持ちは、子どもの頃からありましたか?錦城護謨に入社されるまではどのようなことをしていたんですか?

A. 実は全くなかったんですよね(笑)。

 

うちは自宅と工場が離れていて、子供の頃は工場に行くことはなかったし、父親もほとんど家にいなかったので、父の仕事がゴムの会社だという以外は知らなかったくらいでした。「継げ」と言われたこともなかったですし。自分のやりたいことを見つけて、自分の力で生きていこうと思っていましたね。

 

大学では商学科で学び、またESSに所属してディベートの力を磨きました。卒業後は富士ゼロックスに就職しています。

 

ゼロックスでは、主に他社製品を使っている会社に対して自社製品に置き換えていただくよう売り込みに行く新規開拓営業の仕事をしていて。既に所有していて難なく使えている製品を、新しく別の会社のものに買い換えてもらうことはとてもハードルが高い行為で、最初は全くうまくいきませんでした。

 

けれど、営業の切り口を変えて、より上流の意思決定ができる相手に対してソリューション営業をして入り口を作ることで結果を出せるようになったんです。今思えばESSで学んだ人を説得するための思考方法が役に立ったと思いますし、結果が出るまで工夫を重ねた経験は今のビジネスにも役立っています。

 

ゼロックスの社風は自由闊達、新入社員への教育にも投資してくれ、本当にやりたいことをやらせてくれる場所でした。会社としてのひとつの理想を見せてもらったこの経験は、錦城護謨で自分自身が組織づくりに取り組む礎になっていると思っています。自分が過去に通った道で得た全てが今の自分に役立っている実感があります。

 

 

Q. 継ぐ気のなかった家業へと入られたきっかけは何だったのでしょうか?

 

 

A. 先代である父親から初めて「戻ってこい」と言われ、そう言ってもらえるなら役に立ちたいと思ったから、というシンプルな理由ですね。

 

それまで一度も継げと言われたことはなかったので、きっと父なりにタイミングを見計らってくれていたんでしょうかね。当時、私のゼロックスでの仕事は波に乗っていて、やりがいもあり楽しかったんですが、ITバブルが弾ける直前でもあったので、景気が悪くなる前の本当に良いタイミングで家業に入ることができたと思っています。

 

 

Q. 錦城護謨に入社して、まずどんな仕事から始められたのでしょうか?

A. 配属されたのは土木部門で。土木の「ド」の字も知らなかったので意表を突いた配属でした(笑)

 

私は5年以上ゼロックスで営業をしていたので、強みを活かす意味で、きっと営業職を任せられるんじゃないかと思っていたんですが、それがまさかの土木部門。配属されたからには社長の息子として恥ずかしくない姿でいなければという気持ちも強く、「とにかくやってやるぞ!」と意気込んでいました。

 

実際に働いてみると、土木の現場はかなり過酷で。北九州空港の地盤工事の仕事では、湾岸沖の工事現場まで漁船で運ばれて、電気もコンビニもないようなヘドロの海のなかで次の迎えの漁船が来るまで泥にまみれて働くんですよ。それが本当に大変で辛かった(笑)。あの頃は土木のメンバーと一緒に黙々と仕事に勤しんでましたね。

 

リーマンショックがきっかけで国の公共工事が抑えられ、私たちの事業も3年近い赤字が続いたときにはもう事業を畳まねばならないかと思いましたが、絶対に自分たちの代で途絶えさせたくないと会社のみんなで話し合い、その後1年かけてV字回復させることができました。

 

 

 

5年後、10年後のあるべき姿を考えたとき、今やるべきことが自ずと見えてきた

 

Q. 2009年に社長に就任されてからは、社内の改革や新しい取り組みも始められましたね。これは入社当時から考えていたことだったんですか?

 

A. 最初は「何か新しいことに取り組んで成果を出さねば」という思いも強くて空回りばかりしていたんですけど、あるとき「人に投資していこう」と決めたんです。

 

入社当時はとにかく気負っていて。ゼロックスで見てきたようなデジタル化や効率化を推し進めようとしたんですけど失敗ばかりで空回っていましたね(笑)。結局うまくいかないことも多くて、とにかく前に進むため、悩みながらもがむしゃらに仕事をする日々でした。

 

あるとき、「いずれ自分が社長になるなら5年後、10年後、どうあるべきなんだろう?」と考えてみたんです。よく経営資源として「ヒト・モノ・カネ」が挙げられますけど、そのなかで錦城護謨に一番足りていないと感じたのが「ヒト」で。戦略的に採用したりちゃんと研修を受けた社員は10年後にはしっかり活躍してくれるでしょうし、その中からリーダーの素質がある人も出てくるはず。自分が経営をする立場になったときに、信用できるリーダーがいればとてもやりやすいですし、未来の会社を一緒に支えてくれるメンバーがいることはとても心強いことです。

 

それまでは、入社したらいきなり現場に出されて「仕事は見て覚えろ」のいわゆる職人の世界だったのですが、そんな風に放っておいても育つ人なんてほんの一部で技術を習得するにも時間がかかっていました。自分自身の前職での経験からも、人を育てる多くの場面において、きちんとした仕組みが必要だと実感していたため、研修制度などを取り入れ、採用でも全ての選考に立会い、価値観を共有できる人を集めることに注力したんです。

 

 

Q. 自社の既存領域から、新しい分野へ多角化した新規事業にも積極的に取り組まれていますが、どういう背景や着想でスタートされたのでしょうか?

 

A. どんな事業もいずれは成熟期を迎えます。未来永劫、従来のゴム事業と土木事業だけでやっていけるなら挑戦もしなかったと思いますが、背水の陣みたいな状況になって会社のみんなに余計な苦労をさせたくなくて。早いうちに布石を打っておかなければいけないという危機感がありました。

 

これからの企業に問われるのは、どれだけ儲けを出すかではなく、いかに社会から必要とされているかという社会貢献の度合いだと考えていたんです。

 

また、色々な分野で何ができるか考えてみたのですが、新規事業を始めるときには、「環境・防災・健康・福祉」というテーマが良さそうだなと。なぜこの分野だったかというと、5年後10年後にもっとも必要とされる分野だと思ったからです。このうちのどれかにあてはまり、かつ今持っている会社の技術や資産を生かせる分野であるならばこれらの新規事業はやる価値があると判断しました。

 

最近反響が大きかった新規事業だと、福祉分野では視覚障害者の方が利用する誘導ブロックの「歩導くん」。従来の点字ブロックの「つまずきやすさ」や「歩きにくさ」を解消したゴム製品です。また、プロダクトデザイナーさんと共同開発した高級ガラス製品のようで実はシリコーンゴム製の落としても割れないグラス「KINJO JAPAN E1(キンジョウジャパンイーワン)」は、SNSでも話題になりました。この新規事業をしっかり育てて、ゴム・土木と並ぶ三本目の柱にするつもりです。

特に、シリコーンゴム製のグラスは、KINJO JAPANのブランド名を冠した初めてのBtoC商品。錦城の名前を世界に知ってもらうためのフラッグシップなので妥協はしませんでした。実はこだわりすぎて原価がとても高くついてしまいましたが(笑)。

 

錦城護謨はさまざまな製品に関わっているものの、そこには錦城の名前は印字されません。けれど、グラスを発売してからは、多くのメディアでも錦城の名前を取り上げていただくことが増えました。テレビでグラスが取り上げられ、錦城の名前が出ることで、社員が家族から「こんなところで働いていたんだね」と声をかけられたり、社員自身も自分たちの仕事がどんな風に世間で受け入れられているかを目の当たりにしてモチベーションを上げてくれているようです。同時にインナーブランディングというもうひとつの目的にも作用してくれています。

 

 

 

社長業は未来をつくる仕事。どんな事業においても経営の立場に立つ面白さがある

Q. 今後の展望を教えてください。

 

A. 5年後には、BtoCの自社ブランドの売り上げが、全体の10分の1になるように育てていきたいという目標があります。

 

実は、グラスをはじめとした新規事業も完全に社内理解を得られているわけではありません。「なにしてんねん」という雰囲気はなくはないんですよね。けれど、数年後を見据えれば私は必要な事業だと考えていますし、これから社内理解をもっと深めていきたいです。何より、社内で協力者を得るということは、どんなアトツギさんにとっても大切なことだと思うので、ここは諦めずに丁寧に仲間を増やしていきたいと思っています。

 

他にも、ゴムや土木などの既存事業のなかでも、新規のビジネスをブラッシュアップしていき、より安定感のある企業にしていきたいですね。

 

同時に、社員ひとりひとりのマインドを変えていきたいと思っています。「言われたことを言われたようにやれば良い」という考え方ではなく、「失敗しても良いから挑戦しよう、失敗は悪いことではないんだ」という文化を作りたい。今回のシリコーンゴム製のグラス事業のチャレンジもそれを体現するためのひとつです。これからもいろんなチャレンジをしていきたいですね。

 

 

Q. 最後に、これから一歩を踏み出すアトツギの方にメッセージをいただけますか?

 

A. 社長業は未来をつくる仕事。「ヒト・モノ・カネ」をどう育てるか。どんな事業においても経営をする本質的な面白みは一緒だと思います。

 

二代目三代目の後継ぎにとっては、会社に入った時点では自分がやりたい事業を選べないという悩みもあるかもしれませんが、すでに資源を持ち合わせた会社を継ぐことができるのは、とてもラッキーなことだと私は思っています。ベンチャー企業の社長だったら、これから積み重ねないといけないものを既に持っている位置からスタートできる。

 

これは誰もができる経験ではないし、普通なら会えない人とも出会えます。一方でぶっちゃけいうと、社長業の99%はしんどいことばかりでしたけど、残りの1%は99%のしんどさを凌ぐ、最高な経験があるんですよね。

 

そういう立場だからこそチャレンジできることもあるはずです。私の場合、社員の雇用を守れるならば、事業転換もアリだと思っています。ぜひ、挑戦してみてほしいですね。

 

 

 

 

(文:小島杏子、写真:中山カナエ)


<会社情報>
錦城護謨株式会社
http://www.kinjogomu.jp/
〒581-0068 大阪府八尾市跡部北の町1 丁目4 番25 号


 

アトツギベンチャー編集部

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