2020.01.08

【インタビューvol.37】ミミズをつくって起死回生!?創業138年の老舗が挑む、研究開発型ベンチャーへの道(ワキ製薬株式会社/代表取締役社長 脇本真之介氏)

1882年に創業し、137年もの長い歴史を誇る「ワキ製薬株式会社」。配置販売用薬品をはじめとした一般販売用の医薬品や健康補助食品の製造販売を行っている。ミミズ配合の総合感冒薬「みみとん」シリーズは、販売開始から70年近く経つロングセラーだ。

 

5代目社長の脇本真之介氏は自社一貫生産の次世代ミミズ乾燥粉末原料開発事業プロジェクトを開始。新規原料の開発や社内の意識改革を手がけ、15年で従業員数10倍、売上10倍、利益300倍を達成し、今も成長を続けている。

 

 

 

Q 子どもの頃から家業を継ぐことを意識されてたのでしょうか?

 

A まったく継ぐつもりはなかったですね。幼い頃から「薬屋のぼん」と呼ばれるのがイヤで(笑)自分の人生を勝手に決められているみたいで反発していました。

 

東京の大学へ進学していたのですが、当時はヤフオクが普及し始めた頃で、友人と一緒にその時に人気だったスニーカーをネットオークションで販売したらバンバン高額で売れたんですよ。「商売っておもしろいな」と思うようになって。勉強じゃなくて働いて稼ぎたいという気持ちが大きくなり、大学を中退して実家に帰ったんです。

 

でも、勝手に大学を辞めたことが許されず、実家に入れてもらえなくて一時期は祖母の家で生活をしていました。とにかくそのときは、お金を儲けられる仕事をしたかったので、リゾート会員権を販売するフルコミッションの会社へ入社したんです。

 

 

 

Q 就職先ではどのような経験をされたのでしょうか?

A 入社数ヶ月は、全く何も売れない営業マンだったんですが、数ヵ月後には月収150万円のトップセールスになれたんです。その時に身につけた仕事への姿勢や営業力はいまに生きていると思います。

 

入社当初は景気も良かった時代で、「営業したら売れるだろう」くらいに思っていたのですが、研修期間が過ぎ、3カ月経っても売上はゼロ。本当にまったく売れなくて。

 

そのうち上司や先輩からも「おまえ、もう辞めろ」とか散々言われていたんです。そんな日々が続いたことで限界を感じていたこともあり、ある日、「これで契約が取れなかったら辞めます!」と宣言して背水の陣で営業に向かったのですが、結果は全敗・・・。最後のお客様には、喫茶店で土下座までしてお願いしましたが、契約は一件も取れませんでした。

 

 

意気消沈で帰社し、結果が出なかったことを報告をしていると、今まで育ててくれた先輩や仲間や会社に申し訳ない気持ちが込みあげてきて。思わずみんなの前で泣いてしまったんです。そしたら、その時の上司が「働くということは、君の武器を最大限に活かすフィールドを見つけることや。君のフィールドを1カ月かけて見つけたる。いままで泣くほど悔しがってるやつは見たことがない。おまえは見込みがあるから辞めるな。」と引き留めてくれて。

 

 

それから毎日、その上司は営業のロールプレイングを通して、お客様の目を見るタイミング、間合いなど、細かな営業テクニックの指導をしてくれて。特訓を始めた1カ月後、初めて行った営業先で一発で契約がとれたんです。本当に本当に嬉しかった。その後3カ月で、営業成績はトップにまでなりました。

 

その時の経験から、「はじめは上手くいかなくても、今が悪いだけ。簡単に諦めたり見捨てたらあかん、私でもできたのだから、できない人はいない。時間をかけたら必ずできる」と思うようになりました。

 

 

 

Q 好調だった仕事を辞め、家業に入られたきっかけは何だったのでしょうか?

 

A 祖父の病状が悪くなり、お見舞いに行った時に「いい仕事やから」と言われたことが忘れられなくて。祖父が最後に、私に何を伝えたかったのか知りたいと思ったんです。

 

その当時、事業的には、祖父と大学の先生が共同研究して発見したミミズの酵素を使い、父とその先生のお弟子さんとで真空凍結ミミズ乾燥粉末の商品化に成功しており、特許も取得していて、原料の製造はお弟子さんの会社が行い、ワキ製薬は商品の製造販売を行うという段階でした。

 

会社が儲かっていないのは分かっていたんですが、当時は25歳で、いま家業に入って失敗しても30歳で再出発すれば、またなんとかやっていけるから、とにかくやってみようと思えたので入社を決めたんです。

 

第一工場を新設移転するのを手伝ったり、私が得意とする営業で販売強化に力を入れていくことからスタートしました。

 

 

 

Q そのあと、どのようなタイミングで代表を交代されたのでしょうか?

 

 

A 実は崖っぷちの時期に、いざとなったら私が会社をたたむつもりで社長交代をしました。

 

私が入社してしばらくは、真空凍結ミミズ乾燥粉末はよく売れたんですが、2008年に特許が切れたタイミングで、市場に競合が増えてしまい、どんどん売れ行きが悪くなってしまって。

 

その当時、原料の製造会社とは、作った原料は全部買い取る契約をしていたため、原料は足りていてもどんどん入ってくる。一方、市場飽和で価格競争になり代理店から値下げを要求され、利益はどんどん減っていました。とはいえ、商品自体は売れているので、銀行はお金を貸してくれるけれど資金繰りが悪く自転車操業状態。借入金が膨らみ続けていたんです。

 

「このままでは会社が潰れる」と焦っていたところ、会計士の先生から「この状況は君がどうにかするしかない」と言われたことがきっかけで、父に黙って原料の製造会社へ行き、「これ以上仕入れを続けたらうちが潰れて共倒れになる、取引を一時的に減らしてほしい」と話をしました。

 

すると後日、これがきっかけで取引をすべて解消されてしまって。製品を作れなくなってしまっただけでなく、ほぼ同時期に販売側でもちょっとした裏切りにあってしまい、販売代理店との取引網もほとんどなくなってしまったんです。

 

良かれと思って交渉に行ったことに責任を感じていて。このまま会社が潰れたら、頑張ってやってきた父の顔に泥を塗ることになる。それだけは避けたいと思い、「会社が潰れる前に社長を代わってくれ、すべて私の責任で再建したい」と願い出て、私の好きにさせてもらうことにしたんです。

 

 

 

Q とても困難な状況で社長になられましたが、どんなことから始められたのでしょうか?

A 社員を全員集め、会社が危機的状況にあることを話し、全員の役職をリセットさせてもらうことからスタートしました。

 

「会社を建て直すに当たって、本当に必要な仲間がほしいから1年間は全員平社員で給与は同じ。今年1年本気を見せてくれ。私も本気になる。だからみんなに力を貸してほしい」と話をしたんです。

 

実は役職をリセットしたのには明確な意図がありました。

 

役職は、会社やお客様のためにやってきたことに対する社内外からの評価であり、信頼の証です。それが無くても仕事に支障が無かったり平気でいられるのは、これまでやってきたことに自信が持てないからだと思うんです。もし、役職を無くすことに誰かが反論してきたら、元に戻すつもりだったんですが、誰も言い出さなくて。後日、改めてその想いを伝えたところ、全員が役職がつくことの真の意味を理解し、各々の責任を認識してくれるようになりました。

 

また、この時期はとにかく会社を建て直すために考えついたことはすべて行動に移していきました。まずは、原料メーカーを再選定して大幅なコストダウンを図り、製造工程で出るゴミを分別して売ることに。いままでは捨てるためにお金を払っていた産業廃棄物の処分費用を収入に変えたり。

 

それから、会社に現金がないと営業活動もままならないため、とにかく現金を集めるため、すべての取引先に先払いでの取引をお願いしました。
最初、社員は「後払いが常識。先払いなんて聞いたこともないし無理ですよ」と言っていたんですが、実際に交渉しにいくと案外受け入れてもらえるもので。今まで常識だと思い込んでいただけだったんだな、ということがはっきりわかった一件です。

 

 

 

Q 大学との研究開発にも着手されていますが、苦労されたことなどありますか?

A 大学の先生との接点もなく、ゼロから関係を築き上げるため通い続けたり、原料のミミズを育てるところから始め、夜通しミミズを見張って観察をしたり。泥臭い日々の連続でしたね。

 

生き残っていくためには自社開発が必要だと考えましたが、研究開発のノウハウがなくて。専門の先生に話を聞いてもらうため、東京大学や京都大学の農学部へ半年間通い続けました。最初は門前払いでしたけど、何度も諦めずに通っていると、京都大学の先生が話を聞いて興味を持っていただき、一緒にプロジェクトを進められることにもなって。今ではその教授を研究開発部長として迎え入れています。

 

また、研究開発と製造のために原料となるミミズを手に入れなくてはならなかったのですが、以前の原料を作っていた会社と取引を解消した一件で、立場的にミミズを売ってくれる農家がありませんでした。途方に暮れていたんですが、我々が困っていることを聞きつけたミミズ農家さんが協力してくださって、まずはミミズを育てることから始めたんです。

 

これがもう本当に大変で(笑)。私たちはミミズの飼い方も知らず、ひとまず会社の敷地内で飼ってみたんですが、なかなか上手くいかなくて(笑)。

 

実はミミズは謎が多く、何故か個体密度が高いと逃げ出してしまったり、雨が降ったら逃げてしまったりと、飼育が難しいんです。せっかく手に入れたミミズに逃げられては困るので、台風の時は泊まり込んで夜中に何度も様子を見に行って見張ったり、大雨の時は社員みんなでミミズの飼育容器に傘を差して雨から守ったりしていました。観察した様子は生態ノートを作って記録していました。

 

本当に大変だったですが、4年ほどの研究開発を経て、自社独自の床で育成したミミズから原料となる酵素を抜き出すことに成功し、品質も治験もクリアしました。開発を始める前から、取引先には「いい商品ができるから楽しみにしていてください」とお伝えしていたので、売上も好調です。

 

 

 

Q 今後の展望を教えてください。

 

A 現在はミミズの酵素を完全に精製しておらず、3つの機能性成分が入った商品なのですが、さらに研究開発を進めて、1回の製造工程で3つの機能性成分を分けてそれぞれの商品を作りたいと思っています。

 

そうすれば商品単価を下げることができ、幅広いお客様に飲んでもらえると思っています。また、製造工場の拡大もしていくつもりです。

 

 

 

Q 最後にアトツギへメッセージをお願いします。

A  いまは家業が斜陽産業のアトツギも多いと思いますが、斜陽産業は元は必要とされていたから成立した産業で、存在する商品は人が求める理由があったはずなんです。その大切な部分を掘り起こしさえすれば、ビジネスは復活すると思います。

 

私が関わっている置き薬の業界も同じで、平均年齢が82才。若い人が入ってこないしアトツギもいない。40代くらいの人が「僕らで終わり」と言っているようなザ・斜陽産業だけれど、これから置き薬の会社を立ち上げようと思っていて。今、会社や人が減っている業界に参入して新しいカタチで復活させたら、競争相手が減っていってるわけだから儲けられるんです。そうしたら、その仕事や業界がなくなったら困る人も、その業界の人も、みんなが幸せになれると思いませんか。

 

家業が斜陽産業だということでみんなが暗い気持ちになっているなら、その逆で、チャンスがあると考えてほしい。八方ふさがりだったとしても、その業界や仕事に求められていた本質的な価値をシンプルに考えてやるべきことを行動するだけだと思っています。

 

 

(文:三枝ゆり / 写真:中山カナエ)


<会社情報>
ワキ製薬株式会社
http://www.a-kusuri.co.jp/
〒635-0082 奈良県大和高田市本郷町9-17


 

アトツギベンチャー編集部

アトツギベンチャー編集部

おすすめ記事

おすすめ記事

instagram

このエントリーをはてなブックマークに追加