2017.11.02

【インタビュー vol.4】肌着メーカー3代目、自社ブランドの認知度アップで赤字脱出(ワシオ株式会社/鷲尾岳氏)

情報発信力はミレニアルズの武器。
赤字だった肌着メーカー3代目が挑んだ「いいものづくり」を伝える販路拡大の取り組みとは?

 

※ミレニアルズとは?
一般には 1980 年代から 2000 年初めまでに生まれた若者の世代。幼いころからインターネットに慣れ親しんだ最初の世代でインターネットが身近に存在し、スマートフォンやITデバイスとSNSの活用に長けている。

 

兵庫県加古川市で約50年もの間、独自の技術を大切にものづくりをしてきたワシオ株式会社。
“最強にあたたかい”という保温性の高い肌着「もちはだ」が主力製品の衣料品メーカーです。

 

かつて、南極大陸へ行った植村直己氏が愛用していた靴下もワシオの製品だったそう。

一時は赤字だった会社も今では、新ブランド「YETINA(イエティナ)」のアウターが人気雑誌の欲しいものランキングで1位を獲得するなど、若い世代でも人気を集め、勢いを取り戻しています。

 

そんなワシオ株式会社で“アトツギ”として会社の立て直しに参画している3代目の鷲尾岳(たかし)さん。前職の会社で、中国での事業を一から立ち上げる経験をしたことから、家業に戻らず自分で起業することも考えていたそうです。

 

 

Q なぜ、実家の会社に入ろうと思ったのですか?

 

A 後悔のない人生にしたいと思ったんです。

これからはアジアだな、という思いもあり、前職では中国・天津への赴任を希望し、現地で日本酒を販売する事業を立ち上げから運営まで全部一人で任せてもらっていました。

 

当時の僕は経営的なことは何も知らなくて。

事業計画から営業まで初めてのことだらけでしたが、上司にボロカスに言われながらも日々新しい挑戦をしていく環境が刺激的で楽しかった。向こうで起業もしたいなと考えていたんです。

 

そんな中、暇を見つけては実家に帰っていたのですが、戻ると、両親が会社に関して言い争いをしていて。そのケンカに接しているうちに、会社の業績が悪いことに気づいてしまいました。

 

「家業の不振のせいで家族が崩壊するのはいやだな」とふと考えてしまい、そんなことになったらこの先の人生、後悔するのでは、と思ったのをきっかけに家業に入ろうと決意。

 

特に家業をどうしたいという志があった訳でもなく、ただの僕の想像でしかなかったですけど、「いちばん身近な人を不幸にしたくない、自分が何とかしなくては」と思っていました。

「とにかく自分は後悔する生き方をしたくない」というのが信条でもあったので、25歳になる頃に思い切って「会社に入れてくれ」と親父に伝えたのが入社の経緯です。

 

 

Q まずは何から取り組んだのですか?

 

 

A とにかく何でもやりました。小さなことから、なんでも。

入社してみると最初の決算で過去最大の赤字。それまで外からは見えなかった実態が次第に明るみになってきたんです。

とにかく無駄遣いが多い。

棚卸も年に一回だけ。商品リストもデータ化されておらず、棚卸に1か月半かかっていました。徹底したコスト削減と販路の拡大に着手し、商品リストを作ったり、経費削減に根気強く取り組んだり。企画も、営業も、宣伝広告も全部見直しました。

 

そもそも僕は、何か革新的なものを生み出して既存事業を変えようとは思わなかった。うちはメーカー、物自体が良くて、その技術力から生まれる製品を愛用してくれていたファンが多かったことが強みだと思っていて。

ただ、できていないこと、まだ挑戦していないことは沢山あったので、それを全部やろうと。目の前のことを一つ一つ取り組んでいった結果、増益に成功したり、「イエティナ」の認知拡大につながったんだと思います。

 

 

Q アウターのブランド「イエティナ」はInstagramやFacebookなどSNSでの発信に注力されていますね。オシャレでカッコいいイメージ。オシャレには敏感だったんですか?

A 入社した時、自社ブランドのアウターが似合わなかったんです(笑)

 

元々僕は服には全く興味がなくて。

会社に入ったときにはすでに、イエティナはブランドとしては立ち上がっており、いざ「売るぞ!」と思ったんですが、商品を着てみても全然似合わなかった(笑)
似合わないやつが売ったらダメだろうって思って、そこから服の勉強を始めました。

 

さらにイエティナの服をどのシーンで着てほしいのかを自分の言葉で語れなきゃいけないと思ったので、1年間、ボルタリング、トレールランニング、サーフィン、釣り、スノボ……なんでもやりました。いっぱいありすぎて思い出せないくらい毎日毎日忙しかったです。

また、販路開拓で実店舗においてもらうために、製品を持って道中野宿をしながら営業へ行ったことも。11月の寒い時期でしたが、野宿のような過酷な環境でも暖かいことが証明できたし、営業先でも「この商品着て野宿して来ました」っていうと面白がってくれて商談もうまくいくんです(笑)

 

思いついたことは全部やってよかった。やらなくてよかったことは一つもなかったです。

 

 

Q 岳さんは、特に販路拡大にも力をいれているようですが、何か工夫されていますか?

 

 

A 昔から「もちはだ」はファンが多かった商品ですが、新しい顧客も獲得していかなければ先細りになってしまうという危機感もあり、製品の良さを伝え、認知を拡大するためにもインターネットでの発信には特に力を入れています。

 

ただWebサイトを持つだけではなく、特にYoutubeのプロダクションへ売り込んだことが認知拡大のきっかけとして大きかったですね。釣りのユーチューバーに使ってもらうよう交渉して実際の利用シーンで使う形で取り上げてもらいました。その方がその後ものすごく人気が出たというのもあり、どんどん視聴回数も増えていて、そこからお問い合わせにつながることが増えていって。

 

というのも、ネットでの情報発信って、投稿した後も記事や動画が残っていて、投稿してだいぶ経っていても人の目に触れる機会があるんです。さらに購買情報やどう評価されているのかも、視聴回数やページビューとして可視化されますから。

 

Q ミレニアル世代特有のインターネットを使った情報発信への感度の高さが垣間見えますね。

 

A こういう手法を試すことに抵抗感はなかったですし、知ってもらって初めて価値が認められると思うので、考え付くことができるコトは何でもやろうと思って取り組んでいました。

発信したことがきっかけで新しい仕事にもつながっています。

まだ今開発中なんですが、エアコンのフィルター製造の案件でも声をかけてもらったんです。

今まで扱ったことのない繊維ですし、工業用品を作るようになるなんて思ってもいませんでした。うちの編み機にフィルター用の銀色の繊維が付着してキラキラ輝いているのを見るとなんだか新鮮です。

 

今度、うちの製品を下着としてではなく、それ一枚でも着られるようなオシャレなカットソーとして販売するために挑戦するクラウドファンディングも控えています。

価値をしっかりと伝えて、多くの人に技術力ゆえの製品の良さを知ってもらえるようにしたいですね!

 

 


ワシオ株式会社
〒675-0304 兵庫県加古川市志方町高畑741-1
ワシオ公式Web:http://www.mochihada.co.jp/
イエティナ:https://www.facebook.com/1481236028848349/


 

<取材後記>

 

取材に同行したアトツギな大学3年生のなべちゃんから岳さんへの質問。

 

Q「家業と自分のやりたいことを天秤にかけて迷っています」

 

 

実家が地方、しかも船が1日3便くらいしかない離島の出身です。

家業はハマチの養殖業で、1次産業。カッコいいと思えなくて、あまりやりたくないなという気持ちと、不便な田舎へ戻ることに抵抗があります。今、大学で勉強しているIT分野が楽しくなってきました。家業のことを思うと、兄弟の誰が継ぐとかいう話もない中、一番歳上の僕が家業から距離を置き始めるのは後ろめたさがあります。自分がこれからやりたいことと、家業の存在をどう考えたらいいのか迷っています。

 

A「どっちかしかできないってことはないと思うし、後でもできるっていう考え方もある」

 

今すぐにどちらかを選ばないといけないという事はないと思います。僕も中国にいたころ自分で会社を作って何かやりたいという気持ちはあったけれど、今この時にどっちに取り組むべきか考えたら、僕の場合は実家の立て直しをすることが優先だと思ったから。

 

それに、一度にどちらかしかしてはいけないというルールがあるわけでもないし、家業もやりたいこともどっちもやればいいんじゃないかなって思うんです。

やりたいことをやんない理由を今から作ったらダメ、少し先まで見据えて、全部やるにはどうすればいいのか考えてみたらいいんじゃないかなって思います。

 

 

※取材後日、開始したクラウドファンディングは目標金額の500万を大幅に達成、500人以上の支援者が集まっていました。(2017年10月現在)

 

 

\ めちゃくちゃ暖かいですね! /

 

(取材:高鍋 和哉/写真・文:中山カナエ)

なべちゃん(高鍋和哉)

なべちゃん(高鍋和哉)

1995年生れ。 家業はハマチ養殖。 実家は人口400人弱の小さな離島。 小学校の全校児童は14人、同級生は男3人、中学生になって初めて同い年の女の子と喋った、など少子高齢化最前線を突っ走るお手本のような過疎地域でのびのび育つ。 海に落ちた時のために着衣泳の授業があったなど、離島あるあるを共感できる人を密かに探している。 大学2年生の時に関西大学の後継者ゼミを通してベンチャー型事業承継を知り、共感。 本プロジェクトには山野さんの優しい(?)勧誘により参加。

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