2017.12.22

【インタビューvol.8】創業260年、老舗絵の具屋の跡取り娘の挑戦。使命は「人々の生活を彩る」こと(上羽絵惣株式会社/石田結実氏)

宝暦元年(1751年)、初代惣兵衛が京都市下京区燈籠町で日本画に用いる顔料の胡粉(ごふん)業を創業。以来260年以上にわたり、当地で日本最古の絵具専門店を営む「上羽絵惣(うえばえそう)」の10代目が石田結実氏だ。

 

9代目の父の時代は高度経済成長期からバブル期へとのぼりつめる好況で、家業も安泰。

一人娘として何不自由ない生活を送っていたが、バブル崩壊以降は絵画市場の縮小とともに売上げが右肩下がりに。さらには、絵画投資によって負った3億円の借金で家業の存続が危ぶまれることになる。

短大卒業後から、家事手伝いという名目で家業の手伝いをしていたが、父のワンマン経営に嫌気がさして家を離れた。しかし、2005年に9代目が病気で倒れたことで家業に戻り、飲食業を営んでいた兄とともに10代目を継ぐことに。

苦しい状況の中、「家業の継続のために新しい試みを」と開発した「胡粉ネイル」の販売を2010年に開始。ホタテの殻からできた、天然素材の胡粉を使用して日本古来の色を表現するだけでなく、刺激臭がなく除光液を使用しない「胡粉ネイル」は、瞬く間に女性の心を捉えた。

 

Q 子どものころから家業を意識していましたか?

A 兄がいたので、家を継ぐなんて思いもしませんでした。

 

9代目の父の時代は、高度経済成長期やバブル期といった追い風にのって競合もないなか、お客様に商品を順番待ちしていただくという、まさに殿様商売。私は短大を卒業して21才で結婚してからも、家事手伝いという名目で家業をちょっと手伝ってはお給料をいただく、お嬢さん生活をしていたんです(笑)

 

それが、バブルがはじけて市場が10分の1になってからは在庫を抱える状態に。さらには、父の絵画投資でつくった3億円の借金が追い打ちをかけました。

 

売上げがどんどん下がっていくことに危機感を抱いた私は、父のワンマン経営に疑問をもちはじめます。当時、離婚をして2人の小学生の子どもがいましたが、「私はこの人の言いなりで仕事をするのはもううんざり」と苦労を覚悟で家を飛び出して。

子どもを育てていかなければならないので、働きに出る必要がありましたが、子どもと過ごす時間もしっかり確保したかったので、朝早くから働ける京都の市場に勤めることにしたんです。仕事は、その日の市況によって、商品の過不足を確認し供給元へ流通を促すという、コミュニケーションを取りながら円滑に進めていく仕事。未経験でしたけど、どうやら私には向いていたようで、成績もよかったんですよ(笑)

 

仕事も楽しくなっていたんですが、私が家を飛び出してから3年後に、父が脳出血で倒れて半身不随になってしまって。「これはどうにかせなあかんな」ということで、飲食業をしていた兄とともに38歳のときに家業に戻ったんです。

 

戻ってみると、3億円の借金は残ったままで、会社の売却や廃業がよぎりました。でも、今まで精いっぱい商売のために尽くしてきてくださった職人さんたちの背中を見ていたら、とてもじゃないけれど廃業はできなくて。「自分に何ができるのだろうか」と考えた私は、家業に対する俯瞰の目をもつために、とにかく外に出ていろんな人に会い、イチから色について学ぼうと決めたんです。

 

Q 外から見ることで、家業についてわかったことは?

 

A 父が倒れてから胡粉ネイルを発売するまでの5年間で一番言われた言葉は、「上羽さんは老舗やからええやん」ということ。

 

「老舗というだけで誰も恵んでくれるわけじゃないのに」と一時は反発もしていました。でも、あまりにもいろんな人から「老舗やからええやん」と言われるので、長く続いたということに強みがあると思い直すことにしたんです。お得意さまから教えてもらうことも多く、昔のことや家業の歴史について聞き、「これまでも乗り越えてきたから大丈夫」と励ましていただきました。

色々教わっていく中で、現在もラベルに使用している白狐のトレードマークは6代目が考案したものということもわかりました。絵画の需要がほとんどなかった戦時中でも、京都の画壇にはわずかながら胡粉を納めることがあったのですが、巨匠の画室に置いてある白狐マークの胡粉が多くの弟子の目にとまり、評判が広がったことで、窮地を乗り越えられたのだそうです。

 

「上羽絵惣」が取り扱う和の色は約1200色、商品は700点以上にのぼるのですが、うちには日光東照宮の修復に使われるような絵具もある。うちにしかできない技術を守るという責任もあります。先代たちが、それぞれの時代で工夫し、ニーズに応えて色の展開を行い、お客様の信頼と期待を裏切らなかったから260年以上も家業が続いているんです。

 

この事実は「私たちにも危機が乗り越えられるはずだ」という自信になりました。そして、「職人さんの生活を守ること」「社会から与えてもらった生業の継続」という2つの大きな責任が私の軸になっています。

 

Q ホタテの顔料を使った「胡粉ネイル」の開発のいきさつは?

A 「胡粉ネイル」の発端は、たまたまつけたカーラジオから流れてきた「ホタテ塗料でマニキュアをつくった女子高生」という話題でした。

 

ホタテはまさに胡粉の原料で。化粧品関係に目をつけてアンテナを張っていた私は「これや!」と思い、すぐに化粧品メーカーを探して商品開発をスタート。試行錯誤の末に完成した「胡粉ネイル」を2010年に発売しました。発売してから間もなく、メディアに次々と取り上げていただいて。

 

また、「胡粉ネイル」は有機溶剤を使っていないので、従来のネイルが使えなかった、おしゃれをしたいと思っている入院患者さんや看護師さんにも使用していただいたことが話題にもなりました。

(写真提供:上羽絵惣)

 

最初につくった6000本は3カ月で完売。お客様の要望に応えてさらに9色を加えると人気に火がつきました。幸運にもすぐにメディアに取り上げていただけたのは、「胡粉ネイル」にストーリーがあったからだと思っています。「日本最古」「京都の老舗」「芸術をつかさどる商い」などキーワードはたくさん。

でも、「老舗」というだけでそのまま絵具の商いだけをしていたらもしかしたら廃業していたかもしれません。老舗が新しい挑戦をしたからこそ、メディアも興味を持ってくれたのだと思っています。

 

Q ネイル事業によって、家業の危機が救われたということですか?

 

A 本業ありきのネイル事業です。ネイル事業以外にも、私にはもっとするべきことがあると思っています。

 

色彩検定の講師養成講座を修了して、色を通して誰もが芸術家になれると気づいて。特に女性はお化粧や洋服で気分が左右されますよね。昔は家業を「絵の具屋」と思っていたんですが、「世の中に色を提案する仕事」と捉えると、絵の具が生活に不要な人であっても、すべての人がお客様になり得る。とらわれていた固定観念がほどけていくようでした。

 

美しい色は人を癒し、元気を与えてくれます。色から学ぶことがたくさんあることを伝えて、一人でも多くの方に芸術家になってもらうことが、私のすべきこと。跡継ぎって、みんなそれぞれ与えられた使命みたいなものがあると思うんです。

 

でも、自分が楽しくなければよくないとも思っていて。意地になって継ぐというより、楽しもうという気持ちで入ってほしいですね。自分の子どもたちに継ぐことを強要する気はまったくないんですが、「継ぎたい」と思うような会社にだけはしておきたいと思っています。


【会社情報】


上羽絵惣株式会社
〒600-8401 京都市下京区東洞院通高辻下ル燈籠町579

会社公式サイト:https://www.gofun-nail.com


 

<取材後記>

バブル崩壊などという厳しい時代に継ぐことになり、不安になりながらも、お客さんに色々と聞いて回ったとき、「老舗やから大丈夫やん。」とみんなに言われたという話を聞き、「老舗ということはなんらか価値があって続いてきた」ということが分かった。後継者は「なんで長く存続することができたんだろう」ということを考えてみると、見えてくることがありそうだ。

 

また、「職人の背中をみたら無理だった。それで家族を養ってる方に申し訳ない」という話を聞いて。跡継ぎが継ぐかどうか、会社を辞めるのかどうかを、自分の人生の決断と思いがちだけれど、自分が育ってきた間に会社のために貢献してきてくれた社員の生活があるということ、一人の人生じゃないということを強く感じた。一方で、責任を感じて自分らしく生きれなくなってしまうことは本末転倒である、「ワクワクする生き方」も同時に考えていっていいんだと気づかされた。

 

(取材:西形達宗/写真:中山カナエ/文:花谷知子)

たつのり(西形 達宗)

たつのり(西形 達宗)

1994年生れ。実家は自動車販売修理業。大学院にて知的財産に関して研究。CtoC マッチングプラットフォームの新規事業関西支部立ち上げに参加後、当プロジェクトに参加。年齢は24、見た目は30代。 愛用のジレットフュージョンはプログライドフレックスボールパワー。

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