2021.02.24

【インタビュー Vol.47】農業×I Tで見えない技術資産を未来へつなぐ。(有限会社フクハラファーム 福原悠平氏)


「実は、家業に入ったきっかけはあまり前向きな理由ではなくて・・・」と苦笑しながら話すのは、有限会社フクハラファーム二代目の福原悠平氏。滋賀県彦根市に200ヘクタールもの農地を抱え、米や野菜づくりを行なっている農家のアトツギだ。

 

「琵琶湖のほとりに広がる美しい田園風景を守りたい」と思った福原氏の父が脱サラをし、兼業農家だった祖父の農地を引き継ぎ「フクハラファーム」として法人化。専業農家になって以来、IT化の推進などに取り組むことで農業に新しい風を吹かせてきた。より良い農作物作り、地域社会に貢献していくことをめざして歩んできた同社だが、今が一番のピンチだと福原氏は話す。家業を継いで経験してきたこれまでと、これからめざす未来について話を聞いた。

 

 

家業に関わり始めたきっかけは「なんとなく」

Q. お父さまがフクハラファームを創業したのは、福原さんが小学生のころだったそうですが、当時から家業を継ぐという意識はお持ちでしたか?

 

A. 全くありませんでしたね。農業にこれっぽっちの興味もなかった(笑)。

 

一方、2人の弟たちは将来農業に従事すると言っていたので、なおさら自分は他のことをしようと思い、大学卒業後はテーブルウェアを扱う会社の飲食部門に就職しました。
そしたら、ちょうどそのころリーマンショックが起きて会社の業績が悪くなり、飲食部門を畳むことになって。結局私は辞めることになったんです。

 

その後、退職してから1ヶ月ほど何もせずにいたのですが、このままではさすがに良くないと思い、家業でアルバイトをさせてもらうことにしたのが家業に関わり始めたきっかけですね。続けるつもりはなくて、就職活動までのつなぎとしてバイト代でも稼ぐか、というノリでした。だから、家業に入ったきっかけの理由は実はあまり前向きな感じじゃなかったんですよね(笑)。

 

でも、バイトで関わっていくうちになんとなく興味が湧いてきて、農水省の一機関である「農業者大学校」という存在を知ったんです。各都道府県に「農業大学校」というものがありますが、その中でも「農業者大学校」は茨城県つくば市にある学校で、農業の経営に関する専門知識が学べる学校でした。面白そうだと思い、父に「行ってみようと思う」と伝えると、私がアルバイトを始めたころの父は「別にアルバイトで来るんやったらええけど、お前に何ができるんや」という感じだったんですが、学校へ行くことはすんなりと賛成してくれて。

 

ただ、この選択も当時の私からすると、ある意味「逃げ」で。「農業をやるぞ!」と腹をくくって学校へ行ったわけではなく、むしろ腹をくくるモラトリアム期間をつくりに行ったという方が正しいかもしれません。すごく家業がやりたいというわけではないけれど、仕事としてはやっていけるんじゃないかという気持ちで選んだ道でした。

 

 

農業のIT化を加速させたのは周囲の人との繋がり

Q. フクハラファームでは先代のときから周囲に先駆けて新しい取り組みを行ってこられたとお聞きしています。どのような取り組みからスタートしたのでしょうか?

 

A. 当時は農業といえば一子相伝というか、「見て盗め」の世界だったのですが、そういった経験や勘みたいなものをマニュアルに起こして記録し、自分が培ったものを見える化したいと思ったんです。私たち兄弟3人が就農し、規模拡大で従業員も増えてきたなかで、父は次世代への事業継承について考えるようになっていたという背景もあります。

 

そういったことを滋賀県の職員さんに相談したところ、その方のつてで富士通や九州大学の方と繋がることができて。ちょうど私が農業者大学校から帰ってきたころ、富士通や九州大学との共同プロジェクトが始まりました。また、石川県に、「ぶった農産」という日本農業の最先端の取り組みをされている米農家さんがいらっしゃるのですが、すでに九州大学と共同研究を進めていたらしく、「フクハラも一緒にやろうよ」と声をかけていただいたタイミングも重なって。伝統的な農業と、最先端技術を組み合わせてより効率的で質の高い成果をめざして始められたプロジェクトでした。

 

 

Q. 共同プロジェクトでは、どのような苦労や成果があったのでしょうか?

 

A. まずは現場に浸透させることが何よりも難しかったですね。

 

この取り組みは、一日の終わりに誰がどんな仕事をしたかの記録をする必要があるのですが、最初の頃は従業員たちがなかなか記録しくれなくて。結局は先代からトップダウンで「やってくれ!」というお願いでようやく浸透させられたのですが、まずは何よりデータを集めることを習慣化させるところまでが大変でした。

 

徐々に記録が習慣化し、どんぶり勘定だった決算や生産コストに関してもきちんと数字を把握できるようになり、そのデータをもって初めて分析ができ、効率化に繋げられたんです。その結果、従業員の数を増やさないまま農地拡大を進めることもでき、給料も同業の平均年収より100万円は多くお渡しできるようになって。

 

人に協力をしてもらって何かを変えようとすると、それを習慣化させるまでが大変ですけど、一度成果が上がるようになれば、良い循環になるので、諦めずに取り組んで良かったと思います。

 

何より、技術の見える化に取り組むことで、技術の継承につながったり予想することができるようになり、それでいい結果が出るとさらにやりがいもありますし、だんだん楽しくなってくるんですよね。

 

 

Q. いままでで、とくに苦労されたことはありますか?

A. 間違いなく私の中では「今」が一番大変だと感じています。新型コロナウイルスの影響で、飲食産業が停滞してしまったこともあって、とにかく日本全体でお米が倉庫から動かない状態で。

 

本来、取引先とは、「お米を何月末までに買いますよ」というふうに期限を切って契約してきました。例年であれば期限が来るよりもかなり早くお米は出て行くんですが、今年は期限が近くなっても倉庫にいっぱいのまま、全然引き取ってもらえません。ということは、現金が入ってこないということなんですよね。

 

ひとつの売り先ごとのロットがかなり大きく、一番大口の契約だと300トンを超えるんですが、お米300トンというと、だいたい6000万円くらい。その売り上げが入ってくるのが2ヶ月ずれただけでも大変なことで。実際黒字倒産もありえてしまうような状況なんです。

さらにここ数年、米価は下がってきているので、昔のようにお米だけで経営を成り立たせるのは難しくなっています。経営を成り立たせるという意味でも、先代は梨やキャベツなどの作物栽培を始めていて。始めるにあたり、ちょうど果物の栽培やキャベツ栽培の経験がある従業員がいて、彼らの力を借りることで実現することができています。

 

 

創業者として理想を追いかけたい先代と、会社組織を盤石にしたい自分との違いに葛藤

 

Q. 先代は次世代のための取り組みをずいぶん前からされてきましたが、これまで意見の食い違いなどの衝突はなかったのですか?

A. 正直、衝突がないわけではありません。

 

先代は年末年始しか休まず、363日睡眠以外はずっと農業のことを考えているタイプで、昔はそういう態度を従業員に対しても求めているところがありました。けれど、私は会社組織として従業員に十分な休みを取ってもらうことが必要だと思っているので、そのあたりでよく衝突はあったかもしれません(笑)。

 

私と先代の一番の違いは、私は職業として農業を見ているけれど、先代は生き方として見ている点ですかね。
なので、経営理念なんかについて直接話すときっと喧嘩になるだろうとお互いわかっていて、一対一ではじっくり話さないというルールが暗黙のうちに出来上がっているところがあります。

 

でも、先代から引き継いだ「地元の周辺環境を守る」という想いや、農業にかける想いについては、面と向かってなにか言われたことはなかったのですが、講演会や取材に同席するなかでて、私に対して間接的に思いを伝えようとしているんだなとはうっすら感じてはいます(笑)。

 

実際、私が社長を引き継いだ時点で、先代は法人としてのシステムや作業効率化などの整備はかなり作り上げてくれていて。なので、今後の私のミッションは、従業員の給料などの待遇をより良くしていくこと、一層安定した経営を作り上げていくことだと考えています。

 

今いる従業員は私が採用したわけでも、私を慕って集まってくれ人たちたわけでもありませんが、それでも会社のために働いてくれていて、少なくない貢献をしてくれている。そういう人たちがきちんと報われる組織でいなければ、と思っています。

 

今後は育てる作物も増やしたいと思っています。今メインなのはお米とキャベツで、秋から冬にかけてが収穫時期なんです。加えて春先や夏場の時期にも販売できるような作物があれば、もう一本経営の柱を持つことができます。

 

あとは、以前から売り上げ5億をめざそうと言っているもののまだ達成できておらず、現在の売り上げは4億くらいで。従業員の数は大きく増やさないまま、生産性をあげることで達成していきたいですね。

 

 

Q. 同じように奮闘しているアトツギへのメッセージをいただけますか?

A. 「なんとかなるよ」と言いたいです(笑)。私の場合は、全く家業に興味がないところからスタートして今は社長を務めていますが、自分に向いた役割を全うしてきたら自然と今の自分になっていましたし、気づけばこの仕事が大好きになっていて。今は農業を仕事にして良かったなと思っています。

 

農家といっても、法人化している以上は農作業だけやっていれば良いというわけではありません。販売や経営のことも仕事として力を注げるとなると、元々農業自体に興味はなかった私が、案外一番適役だったのかもしれないと、今振り返ってみて感じています。役割が人を育てるのかもしれませんね。

 

あとは、本当にいろんな方に助けていただいてここまでこられました。滋賀県の職員さん、大学の先生、同業者の方々、もともと父親と付き合いのあった方々にも助けていただいて。自分の力だけではどうにもできないことであっても、周りに助けてもらうことでなんとかやってこられたと思っています。

 

先代が築き上げてくれたもの、とくに信頼や人との繋がりは一朝一夕には手に入らないものです。行動を起こせば、きっと助けてくれる人は多いはず。だから「なんとかなる」と思って取り組んでみて欲しいですね。

 

 

 

(文:小島杏子、写真:中山カナエ)


<会社情報>
有限会社フクハラファーム
https://fukuharafarm.co.jp/
〒521-1147 滋賀県彦根市薩摩町339−3


 

アトツギベンチャー編集部

アトツギベンチャー編集部

おすすめ記事

おすすめ記事