2022.01.17
【インタビュー Vol.51】20歳で掲げた夢は「世界に必要とされる企業にする」。菓子卸売から企業の福利厚生支援事業に業態転換。(心幸ホールディングス株式会社 代表取締役 山﨑 忠氏)
全国に売店192店舗、食堂36店舗を展開している心幸ホールディングス。もともとは心幸株式会社として、関西で菓子卸売業を営んでいたが、販路を全国に増やすだけにとどまらず、売店運営の受託事業を開始。その後、弁当の製造事業、食堂運営事業、企業の健康経営のサポート事業など、精力的に新たな事業を展開し、分社や新規立ち上げで、心幸サービス、心幸クリエイト、SKサポート、心幸ウェルネスとグループ企業を増やしていった。現在はホールディングス化し、すべての事業をリンクさせ、ワンストップで企業の福利厚生をサポートしている。わずか20年足らずで、10人足らずだった社員数はパート・アルバイトも合わせて850人(2021年12月現在)に。また、企業内売店運営事業としては、国内で圧倒的ナンバー1のシェアを誇る。
今回お話を伺ったのは、代表取締役の山﨑忠氏だ。19歳で心幸株式会社に入社し、創業家の親族との結婚を機に20歳で後継者となる。「世界に必要とされる企業にする」ことを夢に掲げて19年、どうやってここまで事業を拡大してきたのか。また、“アトツギ”である前に、“経営者”とはどうあるべきなのかを語ってくれた。
20歳の時に受けた地獄の研修で「人生を変える!」と決意
Q. 19歳で入社されて、そこで創業家の親族だった奥様と知り合って20歳で結婚された。その時には会社を継いで経営者になろうと思われていたんですか?
A. 考えてないですよ。どちらかというと継ぎたくなかったですね。
ただ、20歳の時に自己啓発の研修に行ったんです。そこが地獄の研修だったんですよ。今だったら問題視されるような自己啓発研修(笑)。でもそれに参加した時に自分の人生はなんてちゃらんぽらんだったんだろうかと思って。それから「人生変えないと」と思って、ビジネス本読んで、いろんな研修行き続けていたら、自分がどんなビジネスをやって、どんな人生を歩んで、将来どうなりたいかが芽生えてきたんです。
どんな仕事をするか考えるというより、もう会社の経営をするのは前提だったので、家業をやらざるを得ない状況ではあったけど、気持ちにスイッチが入りましたね。それは、「会社を継ぐ覚悟」とかじゃなくて、その時その時でできる最大限のパフォーマンスを出していただけです。
Q. 入社された頃、御社はお菓子の卸業をされていたんですよね。そこからどんな改革をしていったんですか。
A. 当時の社長は拡大路線ではなかったんですよね。ひょっとすると自分の代で廃業を考えていたのかもしれない。だから、自由に全部やらせてくれました。楽しかったですね。
まずは、阪神間でお菓子の卸売りをしている会社が、どのようにすれば商圏を広げていけるかを考えていました。どのようにすれば購入していただけるのかを考えて売り込みに行って、勝った要因と負けた要因を分析して……っていうのをやり続ける。学校の勉強よりずっと楽しかったですよ。だって、年間で100件くらい顧客とってきたら嬉しいじゃないですか。
見積書や請求書のフォーマットもないから自分で作成して、伝票も手書きだったからシステム化するためにシステム開発プロジェクト立ち上げて、どういうシステムがいいか第一段階から設定していって、そういうことを全部やりました。毎日いろんな問題を解決していくのが面白いし、会社の人もどんどん変わっていきました。これが20歳~22歳くらいですね。
関西から全国へ進出し、売店運営の受託事業を開始。5年で80店舗をオープン
Q. 関西から全国へ進出したのはどういうきっかけですか。
A. 全国で売れるようにならないといけないと思って、23歳の時に単身で東京に行きました。営業コストはかけられないから自転車を買って、自転車でいろんなところをまわって営業していました。
最初は単に菓子を売らせてもらえる場所を探していたんですけど、売店運営を受託できる事業に変更しました。それが16~17年前で、最初に受託したのは佐川急便様。全国にあるじゃないですか。それで一斉に広がりました。
Q. でも売店運営の受託というビジネスモデルは、どうやって確立していったんですか?
A. あの頃は「売れたらいい」としか思ってないですよ。「このビジネスモデルだったら成功するんじゃないか」と考えるよりも、自分が持っている商品がどうやったら売れるかを考えて、売り先が見つかったら、次は「これをモデル化したらもっと売れるんじゃないか」と考えていった。そういうのは自分の肌で感じるしかないんですよ。
売るためには人も採用しないといけない。人を入れるなら社会保険や有休制度の勉強も必要だったし、売り場を良くしていこうと思ったら、設計も勉強しないといけない。CADで図面かけるようになって、棚も高額だったので自分でパーツから組み立てて。運営では棚卸や伝票管理の制度もつくらないといけない。
そうやって一気に開発をかけていったら、5年間で80店舗オープンさせたんですよ。これをほとんど一人でやってた。もちろん寝れないですよ、異常でしょ(笑)。
Q. そういう時に右腕となるナンバー2の方がいてくださったのはよかったですよね。
A. いや、ある程度の売上が出るまでは、「ひとりでもがむしゃらに進んでいかないといけない」と思ってましたよ。
自分がプロジェクトマネージャーであり、プロダクトマネージャーであり、なおかつ自分が営業本部長であり、運営本部長としてやっていく。それで成功できると思ったら初めて人員入れてカタチにしていくというのでないと。「ナンバー2ってどうやって入れた?」って聞かれるけど、優秀なナンバー2をどこかから引っ張って来たというんじゃなく、ナンバー2になる人材が自分についてくる風土をつくるほうが大事。そういうところをラクしようとすると、おそらく会社なんて成り立たないんじゃないかな。
「世界に必要とされる企業にしたい」と思ってくれる人材が集まった
Q. 急激に会社が大きくなったのはいつ頃ですか?そうなると組織づくりが大変ですよね。これまでとは違う苦労が出て来たのでは?
A. 私が28歳くらいの時かな。80店舗も一人で見ているから本当に大変でした。
それで2011年に売店事業は売店事業でしっかりやれるように、分社して心幸サービスをつくったんです。その時、3人採用しました。
人を入れたら、今度は「教育」という問題が出てきました。そこで私が行ったことは自分と同じ研修に行かせること。そのほうが手っ取り早いなと(笑)。その研修を受ければ言われたことを遂行する能力は増すので、20人くらいを束ねるのには効果的なんですよ。それ以上になると考える力がなくなっていくんですけどね。その研修は5、6年前まで行かせていましたよ。人の成長に投資するのは企業の使命ですからね。
Q. 人材はどうやって集めていったんですか。
A. 文句言っている人は、どこでも何やってても一生文句言っていると思います。愚痴っている人に変わろうとアプローチかけても、かけるだけ無駄なので、自分でやったほうがいいし、それについてきてくれる人を集めていかないといけないと思う。
私は20歳で研修を受けて、自分が何かを残せるような人間になりたいと思った時、まだ会社は10人程度しかいなかったけど、「世界に必要とされる企業にしたい」と紙に書いていました。笑われましたよ。でも「バカじゃないの」と思ってた人はいなくなっていった。だって会社の目標を「バカじゃないの」って思っている人と一緒にはできないじゃないですか。逆に、私と同じように思ってくれるメンバーが集まってきた。風土もどんどん変わっていって、会社のステージに合った人材が集まってきましたね。
特別なことをしているんじゃない。お客様のところに足を運んで、声を聞き、事業化していくだけ
Q. 会社をホールディングスにされた理由は?
A. 卸売りと小売りの柱では弱かったから、食品製造事業を始めて、社内システムを徹底的に構築することにして、2013年に心幸クリエイトとSKサポートを立ち上げたんですよ。その頃、離婚もしたので創業家の株式を整理しないといけなかったこともあって、心幸ホールディングスを設立して株も買い上げてまとめたんです。
Q. 現在の御社を一言で説明すると、どんな会社でしょうか。
A. お客様の声を拾い上げ、お客様仕様で最大限の福利厚生を提供できる会社です。
例えば「真の健康経営って何だろうか」と考えた時に、食だけアプローチする会社もあるし、健康診断をする会社もありますが、私は、従業員の食と運動からしっかりフォローできる体制を整える会社であると思っています。
Q. お菓子の卸売りから売店運営の受託を始めて、そこからわずか20年足らずで健康経営というサービスも始めている。山﨑社長は時代の先読みをしているように思えます。
A. 先読みしているんじゃなくて、経営者として当たり前のことをやっているだけなんです。
自分の乗っている船がしっかり進んでいくためには、経営者はここに崖がある、いつ大きな波が来る、いつ雨が降るとか知っておかないといけない。ただそれだけの話。
売店事業が厳しくなると思えば違う軸を増やしておかないといけないし、それも厳しくなるならすべてひっくるめてコラボできるサービスを作っていって、資源を投資しないといけないとか、それを考えて実行するのが経営者の役目。それができないなら経営者なんてやめたらいい。
Q. 御社の経営方針は、「常に全力サービス」「新たなるサービス・提案を発掘」「人間味の強い会社・人間力豊かな人材を育成」とのことですが、2つ目の「新たなるサービス」というのはどんなものですか?
A. 「新しいことに挑戦したい」とか言って、特別なことしようとする人に限ってできないんですよ(笑)。
ウルトラCみたいなことを考えるんじゃなくて、とにかくお客様のところに足を運んで、その時に言われたことから事業化していく。それしかない。
うちが弁当製造を始めたのも、お客様に「何か困りごとないですか」って聞いた時に「食堂がまずくてね」という話が出たから。これはチャンスだと思って弁当製造を始めた。売店で弁当売って横展開しようと思ってやったんですよ。
特別なことをしてるんじゃなくて、言われたことを事業化しているだけ。私も厨房入り続けて、朝3時から7時くらいまで弁当作ってから会社に行ってた。包丁も持ったことない自分が(笑)。4年くらいは業績もしんどかったけれど、その経験から大量調理のことがわかったからこそ、食堂事業を始めることができたんですよ。他の食堂とは違うことやろうと考えて、熱々のから揚げとか炊き立てのご飯とか食べられるようにしました。そんなオペレーション考えるのは楽しいでしょ。それを確立してパッケージ化したらどんどん引き合いが来て、今は50件くらい受託してます。
Q. 山﨑社長が掲げられていた「世界に必要とされる企業にしたい」という目標のゴールってどんなイメージですか。
A. 日本のいろんな企業が世界に出ていく時に「心幸さん、一緒に行かないか」「サービス部門やってくれないか」とか言ってもらえるようになると、世界に必要とされる企業になっていくと思いますね。日本の企業が世界に出た時に、尼崎の小さな会社が一緒についていきますって、すごいじゃないですか。
Q. 最後に、アトツギの方へメッセージをお願いします。
A. アトツギをやると決めたなら頑張ってやる。「継がされた」とか「やらないといけない」という気持ちでやるんだったら経営者なんて辞めたらいい。継がないといけないからやってるだけの経営者の会社なんて誰も働きたいと思わないし、社員は不幸でしかないと思います。
(文:山王かおり、写真:中山カナエ)
<会社情報>
心幸ホールディングス株式会社
〒661-0976 兵庫県尼崎市潮江1-2-6
代表取締役 山﨑 忠氏
アトツギベンチャー編集部
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