2018.12.06

【インタビューVol.24】「価値は、伝え届けなければ始まらない」。5代目桐箪笥職人が本気で向き合う“これからの伝統産業の新しい姿”とは?(家具のあづま/代表取締役社長 伝統工芸士 東 福太郎氏)

120年以上も桐箪笥の製造を行う家具のあづま。5代目の東福太郎氏は桐箪笥の職人として腕を磨く一方で、漆や文化財保存技術など伝統工芸技術も継承。桐箪笥に留まらず、宮大工として神社の本殿建築、桐の備え付け家具、桐製のカッティングボードやロックグラスなど雑貨の製造販売も行う。

 

「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT2017」で企画・設計・製造を行い商品化した「ビア杯 鳳凰」がグランプリを受賞するなど、縮小していく桐箪笥の業界で活躍を続け、異業界からも注目を集める。

 

 

Q 子どもの頃に感じていた家業への思いや継ごうと思われたきっかけを教えてください。

 

A  子どもの頃から桐箪笥の工場で遊んでいました。祖父や父のことをカッコイイと思っていたので、小学校の文集に「将来の夢は世界一の総桐箪笥屋」と書いていました。

ですが、祖父や父からは「継いでほしい」と言われたことはなかったので、中学生以降は継ぐことはあまり考えていなかったですね。

 

きっかけといえば、就職活動について考え始めた3回生の頃、家族ぐるみで仲がよかったレストランのオーナーシェフの話がきっかけで継ぐことを決意したんです。

オーナーシェフのお父さんはカメラマンだったそうで、そのときはすでに亡くなられていたのですが「職種は違うけど同じ職人として親父が追い求めていたものを見てみたい」とオーナーはお父さんの代表作が撮影された場所に行こうと渡航したそうなんです。けれど、その場所はガイドに断られるくらい危険な場所だったみたいで、「カメラマンとして命がけで撮影していたことを知ることができた」と話してくれました。

この話がきっかけで自分の家業について改めて考えさせられたんです。「祖父や父が誇りをもって営んできた家業を自分の代で終わらせたらあかん」という想いが込みあげてきて、すぐに父に「家業を継ぎたい」と伝えました。

 

 

Q そのときのお父さんの反応はいかがでしたか?

 

A 「すぐに継ぐのは無理や。京都へ行け」と言われてしまって(笑)。

 

「継ぐ」といっても職人としての技術も必要で、そんな簡単に一人前の仕事ができるようになる世界じゃないんですよね。まずは大学卒業後、桐箪笥の伝統的な技能を身に着けるために京都伝統工芸専門学校(現京都伝統工芸大学)へ入学しました。そこで出会った先生方から貴重な体験や技術の継承などができ、人に恵まれたと思います。

 

入学してからは、ものづくりをするならこの世界で一番になりたいと思って、休みの日でも先生の工房へ入り浸って仕事を手伝ったりしていて。自然に生徒の誰よりも早く技術を身につけられたと思います。伝統工芸の世界では、道具である治具も生徒自身で作るのですが、時間がかかる作業で、作りたがらない人もいるもので、わたしが他の生徒30人分を作ったこともあって。ものづくりに徹底的に向き合って取り組み続けていたところ、あっという間に上達してしまい、2年生のときには自分のカリキュラムはすぐに終わってしまったので、余った時間は生徒に教えていました。

また、今振り返って良かったなと思えるのは、箪笥づくり以外の選択科目で茶道を選択したこと。消去法でなんとなく選んだ茶道でしたが、着物を着るようになり、箪笥づくりとは関係ない分野での気づきが仕事に役立った例も多くあります。たとえば、現代人って昔に比べると体が大きくなっていて、着物の丈やサイズも大きくなっているんです。そんな今の人のサイズでもぴったり入る桐箪笥を作るきっかけになりました。

 

それに、茶道の先生方と知り合いになれたことも仕事につながっていて、卒業後も茶道の師匠からはお寺の献茶会へ連れていっていただいたり、その際に国宝に触れる機会をいただいたりと貴重な体験をさせてもらいました。

 

さらに、家業に入ってからは祖父の右腕だった職人兄弟の元で桐箪笥作りの修行を行い、父の仕事仲間の職人さんからは、漆や文化財保存技術などさまざまな伝統技術を学ぶことができました。自分でも治具を作るために刃物を研ぐ砥石の研究をしています。技術や道具について、とことん探求するのは楽しいですね。

 

 

Q 桐箪笥のほかにも新しい取り組みを始められていますね、何がきっかけだったのですか?

 

A うちは桐の材木屋が原点なので「桐に関わる仕事なら何でもしよう」と思っていたことと、だれもやっていないことをしたいという気持ちがあって。

 

スタートは建築士の方から備え付け家具の注文を受けたことが始まりです。

そのうちに、桐の雑貨を作るようになったのですが「桐製品に注目を集めるために誰も作ることができない商品を作ろう」と厚さ1mmのロックグラスの製造を思いついて。

 

桐は材質がやわらかくて割れやすいので、厚さ1mmでしかもキレイに仕上げるのは難しいから誰もやる人はいない。それなら自分でやってみようと。完成した桐のロックグラスを元に、クラウドファンディングを実施したら7時間で目標金額を達成したんです。桐箪笥職人が作った桐製ロックグラスが話題になってメディアにも取り上げられるようになって。これがきっかけで「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT2017」に声を掛けていただけたと思います。

 

 

Q ご自身の経験を通して、伝統工芸で試行錯誤している方たちが取り組むとより良いと思われることはありますか?

 

A 伝統工芸品はすごくいい物を作っていても、ひとの手に取ってもらえなければ意味がありません。

 

パッケージも含めた全体のデザイン力やブランド力の向上など、「伝え、届ける」ことに力を入れなければいけないと実感しています。

 

東京で市場を見て回ったとき、とてもいい伝統工芸品が安売りされている一方で、セレクトショップではブランドのベッドが1台100万円で売れていたことが衝撃的で。ものの良さは変わらないか、むしろ伝統工芸品のほうが技術的にも優れているものだったんですが、この事実を目の当たりにし、ブランディングやパッケージの大切さを実感しました。

 

そのためにはまず、商品がもつストーリーに共感してもらうことが大切です。

 

このごろは、モノ売りよりコト売りと言われるようにストーリー性が重視されていますが、伝統工芸には「技術」、「理(ことわり)」、「人とのつながり」があるので、それぞれの商品には伝えるべきストーリーを持っているように思います。

 

クラウドファンディングにも挑戦した「桐製のロックグラス」に取り掛かったときには、ストーリーを込め、ギフトに喜ばれる洗練されたパッケージに仕上げました。

桐は鳳凰の寝床という伝説があり、秦の始皇帝が太平の世を願い、好んで庭園に植えていた木らしくて。鳳凰は何度でも生き返る不死鳥であり、衰退している桐箪笥業界も不死鳥のように甦らせたいとの想いを込めて作っていることをクラウドファンディングに記したことで、多くの出資者の方々に共感していただけたのかな、と。

 

 

Q 家業を継ぐかどうか悩んでいるアトツギへメッセージをお願いします。

 

A 継ぐなら自分ごととして「本気でやりたい」と思うことが大切だと思います。

業界や仕事内容が限られた世界だったとしても、自分のやりたいことや方向性を見つけること。でないと、性根も気持ちも入らないので。

 

そして、やらずに後悔するより、やって後悔した方がいいと思うんです。受け身で仕事するより勝負した方がいい。もし自分のアクションで会社が潰れても命まで取られることはないですしね。私もどん底まで考えて苦しくなったことがあったのですが、そう考えれば気持ちが軽くなりました。

 

伝統のあるものだけではなく、クラシックなスタイルを守るための進化はあっていいと思うんです。何十年も先輩の祖父や父を超えることはできなくても、違う角度で自分しかできないことや自分がやりたいことに挑戦してみたらいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

(文:三枝ゆり/写真:中山カナエ)


有限会社 家具のあづま
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近畿経済産業局 製造産業課
人との出会いが伝統を繋ぐ 〜紀州箪笥のこれからを担う伝統工芸士を訪ねて〜
http://www.kansai.meti.go.jp/E_Kansai/page/20181011/05.html

アトツギベンチャー編集部

アトツギベンチャー編集部

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