2018.09.20

【インタビューVol.19】若干25歳でグループ8社を抱える家業を継承。引き継いだ経営資源を武器にものづくり工程や在庫管理のIoT化を推進(植山織物株式会社/植山展行氏)

兵庫県のほぼ中央に位置する多可郡多可町――。この地に取材班が訪れたのは、田圃に広がる稲穂が豊かに実りはじめた8月中旬。酒造好適米の最高峰といわれる山田錦発祥の多可町は播州織の一大産地でもある。

先染めに特徴を持つ播州織は当地の地場産業として、江戸時代から200年を超える歴史を織り刻んできた。産地としての生産量は全盛期の10分の1程度まで縮小しているものの、国内外の一流ファッションブランドの生地として播州織が採用されたり、最終商品づくりに取り組む若手職人が活躍していたりと産地を勢いづける話題には事欠かない。

 

その播州織産地の中でも地域最大規模の織布工場を持つのが植山織物株式会社だ。100台以上の織機を所有し、年間300万メートルの生地(シャツにして約150万着)を生み出している。

工場内に新旧の織機が並ぶ様は壮観で、話し声をかき消すほどの機の音にも迫力がある。

さらに同社は織布工場のほか、生地を扱う繊維商社、生地やアパレル商品の企画・デザインから製造・販売まで行う会社、生地やアパレル商品を海外に輸出販売する会社など、国内外で8つのグループ会社を展開。ファッション・アパレルを総合的に扱う会社として、仕入れから企画、デザイン、製造、販売まで一貫して手がけてきた。

 

この植山グループを率いるのが三代目の植山展行氏だ。大学卒業後、大手ビジネス機器メーカーに就職したのち、25歳で家業を継承。以降、引き継いだ経営資源をベースにIT化による組織改革、IoT活用による生産体制の確立などに積極的に取り組んできた。

 

 

Q. 家業を継ぐことを意識したのはいつ頃でしょう?

 

A. 子どもの頃から意識はしていました。家族や従業員の皆さんからも、ゆくゆくは私が継ぐんやろなと思われていたと思います

だから就職する際も「いずれ家業に……」という前提でしたし、会社の上司には「2011年中に退職して家業を継ぎます」と話をしていたんです。

 

状況が急変したのは、奇しくも上司に打ち明けた数ヶ月後でした。2011年5月末、先代の父が59歳という若さで急逝したんです。

 

あまりにも突然でした。「年内に家業に戻る」と家族で話し合ったのが11年の正月で、その意向を上司に伝えたのが3月。翌4月の頭に帰省して父とゴルフに行った際、「明日病院に検査入院してくるわ」と教えてくれたのですが、その時点ではまさか父が病気だなんて誰も夢にも思っていませんから。

 

ところが検査でがんが見つかり、父は即入院。会社に事情を伝えて休みを取り、付きっ切りで看病しました。父からは「お前、すぐ帰ってきてくれ」と言われましたが、もちろん簡単に辞められるわけではありません。上司に「11年度中に……」と伝えてはいたものの、それはまだ内々の話でしたし。ですがその後も父の病状は良くならず、入院して2ヶ月も経たずに5月末に亡くなりました。前職の会社は6月15日付で退社し、25歳で家業を継ぐことになりました。

 

 

Q. 若くしてグループ会社8社を率いる立場になり、ご家族としても大切な大黒柱を失われた喪失感にあって……。当時はどのような心境でしたか?

 

A. 実は、ほとんど覚えていないんです。

 

最初の3年ほどは無我夢中でした。父と仕事をしながら事業を徐々に引き継いだわけではありませんし、病床でも会社の話をする余裕もなくて。

 

幸い、グループ各社には番頭さんがいて、会社が何とか回る状態にはなっていたんです。最初は各社がどんな仕事をしているのかを知るために、先代が先生役として付けてくれた人と一緒に一社一社、回ることからはじめたように思います。

 

あとは経営数字の把握ですね。財務諸表の見方を勉強し、グループ各社の経営や財務の実態を掴もうと必死になっていたのは覚えています。

 

 

Q. 突然の事業承継となりましたが、三代目としてグループを率いて実感されたことはありますか?

 

A. まずは雇用の責任を痛感しました

植山織物の工場は規模が大きく、地域の産業と雇用を支えている。この事実を社長という立場で再認識したとき、うちがなくなると困る人たちがたくさんいるんやとリアルに痛感しました。この責任の重みは、経営者としての経験を積むほどに年々、大きくなっています。

 

もうひとつは、父が地元で築いてくれていた信頼です。社長を継いで地域のお客様に挨拶に出向いた際、「大変やったなあ」「植山さんの息子やから助けたる。まかしとき」と気遣いや力強いお言葉をたくさんいただきました。

 

私は父とそっくりなんですよ。町内を歩いている際に「あんた息子か」と突然声をかけられたことも何度かありますし(笑)、従業員の皆さんからもふとした表情が先代と似ているとよく言われます。

 

その父は地域の方々や従業員の皆さんからとても好かれていました。父が地道に積み上げてきた信頼のおかげで、私自身も地域の方々に助けてもらえていると感謝しています。

 

 

Q. 2018年に創業70周年を迎えられました。歴史ある会社を継いだ三代目としてのミッションをどのようにお考えでしょう。

 

A. 「会社を継続させること」。この一点に尽きます

 

植山グループは、1948年に祖父が創業して70周年になります。その祖父は父が18歳のときに亡くなり、父も私と同じく若くして会社を継ぐことになりました。だから父も地域の方々に支えられながら会社を守り続けてきたんやと思います。

 

その父からバトンを受け取った私も地元に感謝しながら、地域のために、従業員のために、会社を守りつないでいく――この時代を預かる私の使命だと思っています。

 

 

Q. 三代目として家業というベースを活かしながらチャレンジされている力を入れてきた取り組みをぜひお聞かせください。

 

A. スペックで定められた機器を扱っていた前職と異なり、播州織は五感でものづくりを行う世界です。その暗黙知の世界に、前職で培ったITのノウハウを取り入れています。

 

なかでも力を入れてきたのが、IoT活用による生産工程の確立です。いま産地全体で職人の高齢化に伴う技術伝承や生産性の低下などが課題になっています。そこでIoT(モノのインターネット)に対応した織機を導入し、生産情報や製造ノウハウの数値化・分析を進め、次世代への技術継承と生産性向上に取り組んでいます。

 

さらに今後は在庫のアーカイブ化も進めていく予定です。綿の先染めの生地を扱う当社は日本有数の在庫数を持っています。歴代の経営で築いたこの財産をもっと活かすべく、倉庫にある生地の一つひとつにICタグを付けるなどして在庫管理をシステム化し、お客様が求める生地を提案できる仕組みを早く構築したいですね。

 

他方でITを活用し、グループ再編や業務改善も行ってきました。8社あるグループ会社は国内外に点在しているので、各社の情報が分断されているという課題があります。すでに全グループでメールアドレスを統一するなどの対策を始めています。

 

慣れ親しんだ組織や業務の仕組みを変えようとすると、どうしてもさまざまな意見が出てくるものです。当社の組織改革の目的は、従業員の皆さんに気持ち良く働いてもらえる環境をつくること。この思いを全社で共有し、社内の理解を得ながら、働きやすい組織づくりに一層力を入れていく考えです。

 

 

Q. 最後に、いま家業に戻ろうか迷っているアトツギ候補にアドバイスをお願いします。

 

A. 迷っているなら家業を継ぐべきですよ。

家業が斜陽産業であっても、親や兄弟との仲が良くなくても、家族を切り離して人生を歩むことはできません。仮に迷った末に継がない選択をした場合、いつか「継いでいれば……」と思うときがきっと来ると思うんです。そうであれば、思い切って家業を継いでほしい。もちろん大変なことも多いですよ。オーナー企業は借金を引き継ぐ覚悟も求められますしね。

でも、だからこそ継ぐ決断をすることで、家業に向き合う本気度が変わります。責任が大きい分、やりがいも大きいですから。

 

(文:高橋武男/写真:中山かなえ)


植山織物株式会社
〒677-0114 兵庫県多可郡多可町八千代区仕出原681
https://www.ueyama.net/


 

アトツギベンチャー編集部

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