2018.11.23

【インタビューVol.22】新しい事業は「モノづくりの基盤」と「技術を持つ人財」の掛け算から生まれる(株式会社サキノ精機/﨑野雄生氏)

 

創業は大正12(1923)年。地元の瓦産業と共同で瓦製造器を開発し、江井ヶ島の瓦産業の発展に貢献してきた前身の会社を経て、産業機械製造と金属加工部品製造の2本柱で事業を拡大してきた﨑野鉄工所。平成3(1991)年には現在の「株式会社サキノ精機」へと社名を変え、現在、四代目の﨑野雄生氏が代表を務めている。

 

一度は就職した﨑野氏が家業へ戻ったのは2009年のこと。2012年には売上が6割減少するなど厳しい状況だったが、﨑野氏が経営方針や組織のあり方を一つひとつ見直したことで、会社の業績は安定。また、2015年にはサキノ精機の社内事業部「エスキノ」を発足し、既製品では賄えないような商材のステンレス加工や、オーダーメイドによる建築部品に特化した領域にも挑戦してきた。2018年4月には食品分野へ参入するなど、「人財」をキーワードに新たな事業作りに尽力している。

 

Q 四代目として、家業を継ぐことに迷いはありませんでしたか?

 

A まったくありませんでした。僕にとって「社長になる」のはあたりまえでしたね。

 

子どものころはずっと会社で遊んでいたんです。僕にとって会社は遊び場であり、祖父や父の働く場所でもありました。今でも他の場所で機械の油のにおいがすれば懐かしく感じるほどに家業には愛着を持っていましたね。誰からも継いでほしいと言われたことはありませんでしたが、いま振り返ると会社を遊び場にさせてくれたのは、もしかしたら祖父や父の作戦だったのかもしれません(笑)。それに、子どもからすると社長って世界で一番偉いというイメージがあって、それがかっこよく思えて、小学校低学年のころから周りに「将来、社長になる」と言ってた気がします。

 

一方で、大人になるにつれ、「社長になりたい」ということにとらわれ過ぎていて、自分はやりたいことを探したり、夢を持ったりせずに生きてきたことにも気づきました。そこで、気持ちよく家業と向き合うために、大学卒業後に1年間カナダへ留学し、思いきり留学生活を楽しむことにしたんです。その1年があったから、就職する際も迷わず家業に関わりのある業界を選べたし、衰退しかけていた家業でも継ぐ気満々で戻ってくることができたんだと思います。

 

Q 家業に戻ってみてどうでしたか?

 

A 社長に就任するまでの7年は、かなり辛かったです。父とも激しくぶつかりました。

 

親子の確執はかなりありましたね。父は現場志向の人間で僕は営業出身だったので、マネジメントの考え方が全然違いました。会社のためになると思って取った行動を理由もなく反対されるなんてこともしょっちゅうで(苦笑)。

 

また、この現場と営業の価値観の違いは組織作りにも大きく影響を与えました。これは、モノづくりのアトツギたちが苦労するポイントでもあると思っています。というのも、現場の人たちを動かすには、率先して背中を見せ、現場を仕切っていくのが一番いいんです。もちろん僕も現場に入ることはありましたが、基本的には営業の仕事をしていたので、家業に戻った当初は現場をうまく動かせずにかなり辛かったです。

 

一つの例がタバコのポイ捨てで。昔ながらの鉄工所なので、そうしたことが日常茶飯事であることもわかってはいたのですが、工場の5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)が重要視される時代にそろそろ合わないんじゃないかな、と思い、掃除を呼びかけたんです。でも、誰も集まらなくて、結局毎日一人で掃除をしたんですが、翌日にまたタバコが捨てられている。その繰り返しが続くと正直きつくて。負けずに立ち向かっていたんですが、ボディブローのように効いてきましたね。タバコのポイ捨ては象徴的なことで、実際、それと同じようなことが毎日山のように起こっていました。

 

そうした環境を何とか乗り越えようと、我慢したり反発したり諦めてみたり、いろいろな精神状態を作って自分なりに向き合っていたつもりだったんですが、一向に改善されず、ついに耐え切れなくなって(苦笑)ある人に相談したら「嫌なところばかりに目を向けていても成長せん。いまある“ええところ”を探して、そこをコミュニケーションのきっかけにしたらどうや」とアドバイスをもらったんです。それからは、従業員の皆さんと仕事や家族などいろんな角度からコミュニケーションを取るようにしました。一緒に働く仲間の良いところを尊重して接していたら、いまではタバコのポイ捨てもすっかりなくなって。

 

 

Q 社員との関係に風穴が空き始めたと感じられたのはいつごろでしょう。

 

A やっぱり人です。今の工場長との出会いがきっかけで徐々に社内の雰囲気が変わってきました。

 

補助金を受けることになり、1億円ほどの設備投資をしたのですが、当時その機械を扱える従業員が一人もいなかったんです(笑)。その噂を聞き「﨑野さんと仕事がしたい」と入社してくれたのが今の工場長で、他の従業員への指示などを彼に任せることにしたんです。その後も他で工場長を務めていた人たちが入ってきて、僕が苦手だった仕事を彼らに任せられるようになり、組織が徐々にでき上ってきたんですよね。社員を信じ、任せて見守ることも、アトツギが身につけるべき能力だと実感しました。

 

Q 新しい事業の作り方やイノベーションの起こし方をどのようにお考えでしょう?

 

A いまあるモノづくりの基盤と、技術・ノウハウを持つ人財を掛け算すれば、新しい事業はいくつでも生まれると考えています。

 

僕個人が「いいな」と思う50名くらいの方に「製造業で世界一をめざす」とか、「中小企業からでも何かを変えられる」とか、サキノ精機のことから業界のことまで、夢を語っているんです。モノづくりの世界で何かおもろいことをしたいと考えたときに、「そういえば崎野さんがいる」と思い出してもらえたらうれしいな、と。

 

今年4月から新規事業として始まり、自社ブランドとしてすでに5台ほど生産している食品加工用スライサーも、夢を語っていたらいつのまにか始まっていた、というところもあります。

 

僕にはゼロイチの才能はないと思ってます。だけど、サキノ精機には確かなモノづくりの基盤がある。だからこそ、技術やノウハウを持つ仲間を増やしていきたいですね。ノウハウと技術を持った人が集まるだけで業容が拡がるのはモノづくりの世界ならでは、ですから。

 

 

Q 最後に、自分らしく家業を盛り上げようと奮闘するアトツギにアドバイスをお願いします。

 

A 自分の代でロケットスタートをするための準備と自分ならではの武器を作っておくこと。はじめから先代に真っ向勝負を挑まないことかな(笑)

ゼロから立ち上げる起業家とは違い、アトツギには親や既にある組織の影響を多かれ少なかれ受けてしまいます。先代とは立場や経験、育った環境がまったく違うわけですから、正面からぶつかっても勝率は低い。だから、真っ向勝負をすると消耗するばかりなので、正面突破しようとしすぎず、見えないところでしっかり力をつけ、先代ができていないことで着手した方がいいことを一つひとつ準備していくことが大切で。自分の武器を作っておくといいと思います。

 

僕の場合、5年前からパソコンの中に宝物をたくさん作ってきました。経営計画書や経営理念、会社のルールブックや組織図、事業計画書などですね。自分が後を継いだときロケットスタートできるように、と。いざ、戦わなければいけない時のために、自分の武器をすぐに出せる準備さえしておけばチャンスにとびつける、いつか自分らしく花開く時が来ます。あきらめずに自分のスタイルで取り組んでいってほしいです。

 

 

(文:水本このむ/写真:水本このむ)


株式会社サキノ精機
〒674-0064 兵庫県明石市大久保町江井島844
http://sakino.co.jp/


 

アトツギベンチャー編集部

アトツギベンチャー編集部

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